From the Reality, With Love.
僕はvtuberをよく見る。
君もvtuberをよく見る。そうだろう。
みんな気づいていて、一度考えたことはあれどあまり触れないことに触れてみる。
vが死んだらどうなるのか。
亡くなったそのvは世間に知られるのか。
ドラマに出てるような芸能人が亡くなればそれはニュースとなって広まるが、有名なvが亡くなったとしたらそれはニュースになるのか。亡くなったことはどうやったら検証できるのか。
自殺だったらどうだ。
宣言してから死んだのなら知れわたることもあるだろう。
じゃあ、ふとした瞬間にvが死んだらどうか。
新しい配信が始まる気配はなくTwitterも動かない。リスナーは心配になるが、新しい情報は得られない。企業勢だったとしても事務所が簡単に情報を明かすとも考えられない。
残ったのはネットの海に漂うアーカイブと人々の記憶。
だが、しばらくして新しい枠が取られ、配信が始まった。それは前に見たままの推しだった。いつものように雑談をし、気が向けばゲームもして2時間程度で配信を終えた。
みんなはvの復帰を祝い、喜んだ。
君を除いて。君はどうしてもその可能性を捨てられなかった。亡くなって残るものはまだあった。その体。アバター。ゴーストは入っていない。
死んだvの知名度があればあるほどそれは深刻である。
声と性格が同じ人が体を共有し、入れ替わったら片方が死んでも気づかれないのか。新任は完全に前任をコピーしている。
これを繰り返し、君の推しは400周年を迎えた。ならばvは死なないのかもしれない。じゃあそれは本当に推しのままなのか。
知っているvで配信に間があいた者がいるだろう。
君のゴーストは囁いているか。
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