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アートの深読み8・リヒターのステンドグラス


ケルン大聖堂ステンドグラス(2007)

 ケルン大聖堂に行くと、ゲルハルト・リヒター(1932-)の制作したステンドグラス(2007)がある[上図]。中世ではステンドグラスに描かれたのはキリストやマリアや聖人だったが、ここでは色面によって構成された抽象画面が埋め込まれている。写真としか思えない写実のテクニック[下図]を持った画家が、同時に抽象絵画を成功させるのは奇跡に近い。しかし写実絵画もピントをぼかし、色彩の粒に分解してしまうと色の斑点からなる抽象絵画に他ならない。その点では両者は同一なのかもしれない。ケルン側の当初の依頼は6人の聖人を描くことだった。

ベティ(1988)油彩画

 ナチスの悲劇を引きずるこの東独の画家ははじめ、自然を写し損ねたピンボケ写真をまねたような油彩画を描いていた[下図]。このピンボケ絵画が加速すると、光の粒に還元され純粋抽象へと至り、さらにはタブローを離れて中世に回帰してステンドグラスへと達した。それは現代の日本画家が由緒ある仏教寺院に襖絵を残すのに似て、きわめて伝統的にみえる。ケルン大聖堂ではリヒターのステンドグラスは、中世ゴシックと対等に現代の美を主張している。そこにはステンドグラスを特徴づける床に広がるはずの光の粒が、壁面に埋め込まれているのだ。それではステンドグラスを通過した光は床面では何を写し出すだろうか。

ルディ叔父さん(1965)油彩画

 私の解釈はこうだ。この光のモザイクはきっと床面に届くとき、ダリのリンカーン[下図]のように、奇跡的な一瞬で聖人の姿を浮かび上がらせる。それはまだだれの目にも触れていないかもしれない。13世紀には天上の光がステンドグラス上の聖人像を経由して、床面で光の輪に変貌したのに対し、20世紀では逆に地上からスタートする。床面の聖人像が壁面で光の粒に拡散し、天上へと戻っていくのである。ガラスの輝きを示すクリスタルの語は、救世主であるクリストゥスと語呂合わせになっている。

ダリ「リンカーンの肖像に変容する地中海を見つめるガラ」(1976)

 リヒターの出発点は写実絵画の手わざの人だったが、それをあっさり捨てたことでピカソ的変容を手中にし、同時にスーパースターとして名声と富を得ることにつながった。引き金は東ドイツからの亡命だった。社会主義リアリズムを揶揄するように資本主義リアリズムを標榜する。写実絵画とは対極にある純粋抽象とみると同一人物とは思えない。亡命による新生に歓喜する壮大な交響曲が思い浮かんでくる。社会主義からの亡命は、リアリズムを捨てて抽象絵画に走ることだった。

キャンドル(1982)油彩画
読書(1994)油彩画

 ピンボケ写真は、資本主義が生み出したリアリズムのことである。このぼかしによるリアリティは、産業革命がもたらした印象派の視覚革命から引き継がれたものだっただろう。そこで取り上げられたロウソクの光や読書をする女性[上図」のモチーフは、それ以前のオールドマスターからの引用だろう。印象派は写実主義を徹底させるなかで誕生したが、その表層は写真術が見いだした「ぼかし」という意外性のある効果のことだった。それをスフマートと呼びかえると、レオナルドが自然観察のすえに発見した現実の真相のことだったともいえる。リヒターの抽象[下図]が変に生々しくリアリティをもって迫ってくるのがわかるような気がする。

カラーチャートペインティング・1024色(1973)油彩画

引用元=絵画のモダニズム
https://sites.google.com/view/kambarabb/

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