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愛と敬意を込めて〜話し合わないセックス〜

今朝粗暴な言動をしていたところ
親愛なる多摩湖さんに、「言葉に愛と敬意を」と諭されたので、冷静にここ数日考えていたことをまとめました。読んでくださると嬉しいです。

大元のツイートはこちら。

https://twitter.com/mashu_o0/status/1301061637852418048?s=21

まず、カップル間のセックスのお話だという前提を明記しておきます。

ではスタート。

さて、1組のカップルがいます。セックス中、彼氏が(間違った知識をもとにして)痛みを感じる行為をしてきた時、好みでない行為をしてきた時、この瞬間カップルの2人は、加害者と被害者の関係に即成り下がるとあなたは思いますか?

私の答えは、いいえです。

というのも、セックスをしてゆく中で、このような方向性の違いというのは往々にして発生します。
その方向性の違いを修正していくためには、感情を言語化し言葉にして伝える必要があります。
特に「痛い」「気持ちいい」などといった感覚は、残念ながら本人にしか分かりません。
感情も感覚も、どちらも目に見えないものですから、言葉にせず態度で察してもらうには限界があります。
(ご存知の通り特に付き合いたてのカップルだと、お互いの体についての理解は乏しいため、察するのは本当に至難の技です)
これらの、感情・感覚の言語化の作業や、対話を蔑ろにしてしまうと、方向性の修正どころか、関係悪化の一途を辿ることとなります。

ここで重要なのが、カップル間のセックスはただの行為ではなく、コミュニケーションとしての役割を大きく担っている、という点です。
しかしながら、痛みを感じていても意思表示をしない、不満があるのに話し合いをしないという彼女は、存外多く見受けられます。これはコミュニケーションの放棄です。
そしてまた、彼氏も独りよがりの行為をしている時点で、コミュニケーションを放棄していますよね。
コミュニケーションであるはずのセックスを、コミュニケーションを放棄した2人が行っているのならば、もはや加害者も被害者もありません。
カップルの立場が対等であるのならば、責任だって対等に背負わねばおかしいですからね。
お付き合いする上で、どちらかにだけ非があるという状況は、そうそう起きないのではないか、と私は思います。(浮気とかさ、そういうのは別よ)

そして今日、「(こういう男性は)外面はよく口も上手いので、経験が浅いかつ鈍感な女は騙されてしまうケースが多い」という話が出ました。
これに対して、私は瞬間湯沸かし器かのようにブチ切れ散らかしたワケですが、それを言語化しないことにはどうにもこうにもならん。ということでまずは言語化の手助けとして、「騙す」を辞書で引いてみました。

【うそを言って、本当でないことを本当であると思い込ませる。あざむく。たぶらかす。「人を―・して金を取る」「まんまと―・される」】
(goo辞書: https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%A8%99%E3%81%99/)

と出ます。
さて、どうでしょう、今回のカップル間のセックスの話において、この定義だと…うーん、ちょっとピンとこないので、ついでに「たぶらかす」も辞書でひきました。

【だまして惑わす。人をあざむく。「言葉たくみに―・される」】
(goo辞書:  https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%AA%91%E3%81%8B%E3%81%99_%28%E3%81%9F%E3%81%B6%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%99%29/#jn-138360)

こちらもやはり、継続的な交際を続けるカップルの話として、私は適当でないなぁ、と感じました。
だって、痛い愛撫をする彼氏は嘘をついているわけでも、彼女を欺いてるわけでもなく、彼女の身体を扱う知識とコミュニケーションが不足しているわけですからね。
つまり、騙されたのではなく、双方向のコミュニケーションが不足していたというのが正しいのではないでしょうか。
重ねて言うと、加害者や被害者が無い以上「騙される(た)」というのは不適当だと感じます。

女性も男性と同じく、意思を持った一人の人間です。
自分が選んだ相手と、自分の意思でセックスをします。
この、「自分の意思で」というのが、今回の話においてなかなか重要です。
これらを踏まえた上で、男女のコミュニケーション不足を、他者が「あなたは騙されたんだよね」と非論理的に(私にはそう思えます)庇うのは、女性の意思決定プロセスを蔑ろにしているのと同じではないでしょうか。
自らが決めてセックスをした、結果好みでない行為だった、そしてそれを伝えなかった。
その責任は当たり前ですが2人にあるのです。

女性は守らねばならない存在ではありません。誰かに手を引いてもらわねば立って歩けない赤子ではありません。言葉を操れない愚者でもありません。
自らが決めたこと、自らがコミュニケーションを取らなかったこと、それは誰のせいでもなく自分のせいなのです。

こう言うと、「言っても聞いてもらえない」「やめてもらえない」「やめてと言ったら何て言われるか怖い」などという言葉が返ってきますが、
ではなぜその人とお付き合いを続けるのですか。
言っても聞かない、つまりコミュニケーションの取れない相手を捨てる勇気を持てず、アダルトコンテンツのせいにしたり、社会のせいにするのはなぜですか。
そんな相手と付き合い続けなくていい、嫌なものは嫌だと言っていいのです。
騙されていたのではなく、あなたが選んだ結果ではあるけれども、それでも逃げたって喧嘩したっていいんです。でも他人のせいにしてはダメです、思考が停止してしまう。

また、先日「言いたいことを言えない社会に置かれている女性に同情しないのか」とも言われました。
同情する訳がありません。そもそも、私も同じ社会で生きてますからね。共感はすれど、同情はしません。女性は子供じゃないから、自由意志に基づくセックスによる不和で、女性を哀れんだりしません。

他人のせいにするということは、自らの責任能力を捨て去る、意思決定権を誰かに預けてしまうということに似ているかもしれません。
自分が決めたことを、にっこり微笑む善意の顔をした差別によって理由づけされるのは、私ならばとっても腹立たしい。
そして、他人のせいにばかりしていたら、いつかあなたの決定(意思)を尊重してもらえなくなる、聞いてもらえなくなる、それがどんなに恐ろしいことか、皆さんならお分かりでしょう。

私たちは、母の腕の中ですやすやと眠る赤子のように、大事に大事に護られて、一生外の世界の汚れを知らずに生きていく事はできません。

だってもう、私たちは大人ですもの。

自分のことは自分で決めていいし、どう生きたって構いません。
でも、いえ。
だからこそ、大人だからこそ、自分でセックスすると決めたなら、2人のセックスの問題を他人のせいにしてはダメだと思うのです。

大事な人を傷つけないために、大事な人に傷つけられないために話し合う、話し合える関係を作る、それが大人である女性を大人たらしめる過程だと思います。

話し合えない関係なんて、あなたを大事にしない、あなたの声を聞かない相手なんて捨てる勇気を持とう?

これから先、令和の時代を生きていく私たちにできることは、自分の言動に責任を持って、反省して、でも凹みすぎず、前に進んでゆくことだと思います。
(私も今朝の言動は反省してます。)

正直生きてたら嫌なことたっくさんあるけど、それでも生きていかなくちゃいけないから、せっかくだし、たくさん話し合っていいセックスしよう。


愛をこめて 大親友

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