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#2 連絡をとらなくなったあなたへ

 

#手紙部

 こちらは手紙部のゆるふわ帝国様<@nn_name_n2>に手紙を書いてみませんかとお誘い頂いて、是非にと、せっせと文字を綴って参加させていただいたものです。手紙部では、たくさんの方がそれぞれの想いの詰まった手紙を書かれております。
とても素敵な活動ですので気になる方はTwitterの方で「#手紙部」と検索を掛けられてみて下さい。

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#導入

 私は今回、「かつて連絡をとっていた方」へ宛てた手紙を書きました。連絡をとっていた、ということは今はもうとっていないということ。どちらから始まったとも分からない、些細な近況のやり取り。気づけば長く続いていて、気づけば終わっている。
そのような経験がきっと皆さまにあられると思います。

 皆さまの心の中でその想い出がどのような形で残っているのかお話を聞いてみたいですね。きっといろんな形があることと思います。
 連絡が途絶えた時と気づいた時は多少なりとも心が揺れ動くものです。悲しくて涙を流す方もいれば、なにくそと怒り狂う方もいらっしゃるでしょう。割とすんなり受け入れられるよ?という方もいらっしゃるのでしょうか。私は静かに落ち込むタイプで、落ち込んだ後は楽しかった想い出だけ大事にしまい込んであとはへっちゃらです。特定のタイミングでふと記憶の隅から取り出してきて懐かしんだりもします。
 

 前置きが長くなってしまいましたが、このお手紙は「誰に宛てて手紙を書こうかなぁ」となった時に、そういえば先日記憶の隅から取り出していそいそと磨きなおしてしまったばかりだったなと思い返して、今一度取り出して「今はもう連絡をとっていない方」へ宛てたものです。それでは、どうぞ。

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#拝啓

 こんにちは、お久しぶりですね。お元気でしょうか。
 こちらはほどほどに元気にやっております。
 ジメジメと暑い日が増えてきて、エアコンを入れようかどうしようか、などと考え出すとまた今年も夏がやって来たな、と人々は思い始めるのでしょうか。なにはともあれ、あなたが昔と変わらず夏に負けない丈夫さを維持していると嬉しい限りです。
 梅雨に入ると、決まって祖母の家で集まってみんなで遊んだことを思い出します。みんなの名前、今もソラで言えますか?私はいつも決まってカーキの短パンを履いていた男の子の下の名前が思い出せません。
 祖母の家は嘘みたいな田舎にある古い家屋だったので、屋内に娯楽などはなく、一階から二階の隅々まで探索したら私たちが時間を潰すものなんてなくて外で遊び回っていましたね。鬼ごっこをしたり、カブトムシを探したり、かくれんぼをしたり。「あそこの駅舎からあそこのお爺さんの家の辺りまでが範囲」なんて曖昧なルールのもとでかくれんぼをしても意外と誰もズルをしなかったのは今思うと素敵なことなのかもしれません。あなたがお爺さんの家の中に居たのはグレーゾーンですが、みんなにお見通しでしたからセーフですね。
 とにかく汗だくになるまで遊んで、なぜ自立出来ているのか分からないほどに古茶けたスピーカーから流れるジリジリとノイズの混じった音楽が流れたら終わり。いつから始まったのか音楽を合図に祖母の家まで競争するのが常でした。かけっこは大抵あなたが一番早くて私は3番目くらい。カーキの彼はビリッケツでしたね。みんな縁側で疲れ果てて伸びていると、台所の方から瓶と瓶がぶつかって立てる小気味の良い音が聞こえてきて、祖母がよく冷えたサイダーを運んできてくれましたね。炭酸がしびれるように爽やかで、でも少し痛くて。瓶を傾ける度にビー玉が立てる「カラン」という乾いた音が縁側に響くのが好きでした。
 懸命にビー玉を取り出そうとするあなたの姿が可笑しかった。大事そうにポケットにしまっていましたね。
 夏はいつもあっという間に終わって、私たちはそれぞれの家に帰って、また次の夏までを過ごしました。誕生日よりも、クリスマスよりも、夏がまた来るのが待ち遠しかったです。
 あなたお母様のケータイを使って私の母にメールで近況を送ってくれましたね。
「運動会のかけっこで1番になった」
「クラスの委員長になった」
「背が伸びた」
なんて自慢気な1行の短い近況。そして2行ほど改行されたところには、あなたから私に宛てたメールだと分かるように名前がそっと添えられていたのが、なんだかくすぐったくて、こしょばくて、嬉しかった。夏が来るのと同様に、私はそのメールが来るのもとても楽しみでした。でもメールが来るのは夏以外ですから「夏と夏以外がいっぺんに来ればいいのに」ということを真剣に考えていたりもしていました。
 あなたからの大変誇らしいメール届くと、私は何日もかけて文章を考える。すぐに返信をしたからといってあなたが追伸をよこすとも思っていなかったので、長い時は数週間、練りに練った渾身の返信を指に力を込めて送り出す。数か月するとあなたからまた一行の近況が来て私はまた返信を考える。そういったことを2,3度繰り返すと夏は目前でした。
 みんなどんな風になっているだろう。元気かな。今年はなにして遊ぼうかな。と胸いっぱいの期待と、少しの不安を抱えて再び祖母の家に集まる。不安だったのはきっと、メールの返信内容に見劣りしないくらい立派に成長できているかあまり自信がなかったのかもしれません。いざみんなの顔を見るとそんな不安は風に吹かれて消え去り、大人たちの用意する豪勢な夕食にありつくまでの間何をして過ごすかで頭はいっぱいになるんですがね。我ながら食い意地の張った子供でした。あなたがしまっておいたチューチューアイスをこっそり食べたのも私です。黙っててごめんなさい。
 そうしていくつかの夏と、夏以外を繰り返して少しずつ私たちは大きくなっていきました。子供の成長は凄まじいもので、自分は一年かけてあまり変わっていないように思えるのにみんなは着実に成長しているなぁと感心しておりました。見栄も張りたいのでそれはあまり顔に出さなかったですがね。みんな同じようなこと思ってたんでしょうか。そうだとしたらおかしいですね。
 あの頃の私はひとつ、夏を終えると来年の夏を、来年の夏を終えるとまた次の夏をと、未来を見据えて生きていました。子供のころってあんまり過去を振り返ることなかったように思いませんか?私はそんな気がします。振り返ったとしても話題に上がるのは前日の晩御飯やアニメのことくらい。目に映るもの全てが新鮮で、そちらを味わうのに忙しかったんですかね。
 私達もやがて義務教育を終え、少しずつそれぞれの人生というものが明確になっていきました。自我の芽生えとでもいうんですかね、それ以前と以降ではなんとなく何か違う生命体になったような気がします。いわゆる大人と子供の境目、教師も個としての責任感のようなものを強調し始めますよね。
 少し話が逸れましたが無理矢理戻します。私たちが子供と大人のボーダーラインを反復横飛びし始めたあたりから、私達はすこしずつ疎遠になっていきました。祖母の家に集まることもこの頃にはほとんどなく、みんなでタイミングを合わせて、ということはなくなっていきました。あなたとの連絡がどちらともなく終わったのもこの頃だったかな。
 私は次第に過ぎ去ったこの夏のことを想起する、ということが増えていきました。これが大人になる、ということなんでしょうか。未来を見据えていた子供時代、今に忙殺されていた子供と大人の境目、過去を懐かしむ今の私。悪いことではないはずです、楽しかった想い出は今の私を作り上げた大事なピースですから。
 あなたはいかがですか?あの夏を思い返すことはありますか?大事にポケットにしまっていたビー玉、子供は未来を追いかけるのに忙しいから捨てちゃったかもしれませんね。でも、もし今も大事にとってあるなら夏を想起させるかけがえない宝物になっているでしょうから、羨ましくもあります。
 どうか体にお気をつけて。どこかで会えたら、お互い気づけるとよいですね。

かしこ


#終わりに

 ここまで読んでくださった方、私のごく個人的な手紙にも関わらずここまでお付き合いいただいて誠にありがとうございます。
 もう連絡をとっていない方に向けて、届くことの無い手紙を書くというのはなんとも面白い体験になりました。私にとって文章とは誰かに読んでもらうために綴るもので、それが実際に目的に即して消費されると非常にうれしいものです。
 特に今回の手紙は宛てられた本人が読むことの無いものですから、それをあなたが読んでくださったことは私にとっては産んだ子供を抱いて貰えたような、相手のいない糸電話の片方を手に取ってくださったような、特別な意味を持ちます。重ねて感謝申し上げます。

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かゆ うま
日記はここで途切れている。



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私のようなものにはまだ早い