食パンひと袋一週間

仕事のある日は5枚切りの食パンに、ジャムを塗るかしらすとバターをのせて魚焼きグリルで炙って食べる。
休みの日は白米とおかずをゆっくり食べる。
夜勤の日は白米をおにぎりにして食べる。

長年そうやって生きてきたのでたまに食パンがないとすべてが狂ってしまう。
仕事の帰りに、週に1回ドラッグストアでこの5枚切りの食パンを買うのだが、今週も先週もなぜか売り切れていて、仕方がなく先週は六枚切りのパンを買って、今週は4枚切りのパンを買った。
六枚切りを買った週は最初の日に1枚をおやつにしたが、なんだが元気がでなかった。ほんの少しの差だが、朝ごはんが物足りないというのは朝から元気がでない。
しかし今週は4枚切りである。
1枚目を食べたときは分厚いトーストもよいものだな、とほくほくしていたが、3枚目を食べた日の朝、「しまった!今日はゴミの日だった!」とあわてて家中のゴミを集めて着替えてゴミ回収所にかけつけたら、がらんとした空間だけがあった。そうだ、ゴミ回収は明日だ。
知らず知らずのうちに3枚目のパンを食べたらゴミ回収、というリズムができていたことに気がついて驚いた。

その日の夜、毎週楽しみにしているヒロシさんが出ている「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」を見逃してお風呂にゆっくりつかっていた。お風呂から出てから、「ああっ、今日は迷宮グルメの日…」と見逃したことを悔いて膝をがくりと折った。

次の日、パンがあと1枚しかないので明日買わなきゃな、と思いつつ、買うのを忘れた。
その次の日も忘れた。

そしてとうとう、私の家に食パンが1枚もない朝がやってきた。
仕事のある日だというのに食パンがないと調子が出ないものである。
朝起きて、食パンを焼きながらコーヒーメーカーにコーヒーをセットして、朝ごはんができる前に顔を洗ったり歯を磨いておく。片側が焼けたパンを裏返したらバターとしらすをのせて、化粧水を顔にはたいてしみこんでいるあいだに服を着替え、コーヒーに砂糖とミルクを入れる。するとパンがいい具合に焼けているので朝ごはんを食べる。
食べた残りのコーヒーをすすりながらメイクをして、口をすすいでからリップクリームを塗って、荷物を確認して出勤する、というのが私のいつものルーティンだ。

しかし今朝はパンがないのだ。

朝起きて魚焼きグリルを温めてからパンがないのに気がつく。仕方がないから冷凍してあるごはんを電子レンジで2分、あたためる。
あたためながら顔を洗い、コーヒーメーカーにコーヒーをセットしていると 電子レンジがピーピーけたたましく鳴った。ごはんをあたため終わったのだ。
ちょっと待てよ、まだ歯を磨いてないぜ!と思いながら電子レンジのドアをあけた。こうしておかないといつまでもピーピーうるさいのがうちの電子レンジだ。大変世話が焼ける。
歯を磨きながら魚焼きグリルを開けてパンの焼け具合を見る。そうだ、今朝は食パンがない日だった。
一抹の寂しさを覚えながら口をすすぎ、コーヒーにミルクを入れ、服を着替えたら顔がなんだかカサカサする。そうだ、化粧水を忘れていた。あわてて化粧水を顔にはたいてコーヒーにミルクを入れる。入れてから気がついたが、さっきも入れた。
しょんぼりしながらぬるいミルク入れすぎコーヒーを持ってテーブルについた。パンがない。
そうだ今日は白米にしたのだった!とあたため終わったごはんを茶碗によそった。おかずがないからふりかけをかけて食べた。
コーヒーと白米は合わなさすぎるので水筒に入れるために作っておいたお茶を少し飲むはめになって、水筒に満タンにお茶をいれて出勤したい私はもう一度お茶をつくることにした。
お茶を作っているあいだにぬるくなったミルク入れすぎコーヒーを飲む。絶望的にまずい苦汁であった。砂糖を入れ忘れている。しかもぬるいからもう砂糖をとかすことはできない。

いろいろ調子が狂うものだなあ、と思いながらもなんとか水筒にお茶をいれ、そのついでに忘れ物がないか確認し、家を出た。

バスに乗るまでの道のりに、黄色いゴミ袋がたくさん出してあった。しまった、今日こそゴミを出す日であった。

絶望的な気分になりながらバスに乗って会社に行った。
会社でタイムカードを切ると、タイムカードの機械がビービーと鳴った。
??と思っていたら事務の人がやってきて
「あなたはどなたですか」
という。
しまった、化粧をし忘れていた。まるで別人のような私に疑惑の目を向ける事務の人に
「すいません、私、Mでございます」
というと事務の人は
「Mさんはお休みのはずですが…」
という。慌ててスマホのアプリ内にある予定表を確認する。いや、今日は出勤の日だぞ?
「あの、今日は24日…ですよね?」
おそるおそる聞いてみると、事務の人はいぶかしげに私のを見ながら
「いいえ、23日ですが…」

しまった、1日間違えていた!

「すいませんでした!」とあわてて会社をあとにした。
明日出勤してこのことを聞かれたら、なかったことにしよう。なにせ化粧したら別人だからきっと事務の人も状況がわかっていないだろう。

急いで帰りのバスに乗り、家に帰った。この時間ならまだ、ゴミ出しに間に合うかもしれない。
走って帰っていると、ゴミ収集車とすれ違った。ダメだ、間に合わなかった。

今日はとことんツイてないな、と思ったが、逆に仕事だと思っていた日が休みなのは嬉しい。せっかく出かける準備をして家を出たのだから、少し買い物でもして帰ろう。

きびすを返して駅に向かうと、電車で繁華街に行き、久しぶりの買い物を楽しんだ。平日だからなのか、街はガランとしていて、普段混雑している店もゆっくり見れたのでついつい2、3日遊んでしまった。

三日目の夜にとうとう、「そうだ、食パンを買わなければ」と思い出した。
今日は家じゃないから食パンは必要ないが、明日の朝、自宅で食パンを焼かないと大変なことになってしまう。

朝早くに繁華街を出て、自宅のある街に戻ってみると、いつもの場所にいつものドラッグストアはなく、かわりにコインパーキングができていた。
遅かったか…。

後悔しても仕方ないので、このさいパンさえあれば、とコンビニエンスストアに行った。食パンはあるが、六枚切りしかない。 しかし背に腹はかえられない。とにかくパンがないと私の一週間がおかしくなってしまう。

六枚切りのパンを購入して家へと急ぐ。途中で野良猫に出会った。野良猫はものほしげに「ニャア」と鳴いた。
しめたぞ!この猫に1枚、パンをあたえれば、食パンは5枚になる!そうすれば私の一週間が戻ってくる!

オイデオイデー… と甘い声で猫を呼び、パンをちぎって投げてやる。猫はちぎったパンをくわえて走り去った。しまった、食パン1枚は猫には多すぎた。
しかし、絶望するのはまだ早い。近くにカラスがいたのだ。

私はカラスをオイデオイデー… と呼ばわいながら 小さくちぎったパンを投げた。
カラスは首をかしげながらちょん、ちょん、と近づいてきてパンをくわえ、上を向くと、パンを飲み込んだ。そして催促するように
「アー!アー!」
と鳴いた。
まだまだパンはありますからね、と私は残りのパンもちぎって投げてやった。
するとどこからともなく別のカラスがやってきた。
早くパンを消費してしまいたい私は、やってきた別のカラスにもパンをちぎって投げてやった。
カラスはひと口たべるたびに
「アー!アー!」
と鳴き、そのたびに1羽、1羽と増えていった。

さて、1枚まるまるちぎってあたえたので 私の手元のパンは5枚になった。これで日常をとりもどすことができる。
立ち上がるといつのまにか、とんでもない数に増えていて、もっとくれ、とばかりに
「アー!アー!」
と鳴いた。
ごめん、このパンを渡す訳にはいかないから…と去ろうとすると、あとからあとからカラスが集まってきた。これはまずい。

私は走り出した。カラスは鳴きながらおいかけてくる。私も泣きながら走った。
パンを買い忘れたばっかりにこんなことになるなんて!

泣きながら坂道をかけあがり、懐かしい我が家についた。まだ3日ほどしか経っていないのに、もう何年ぶりだろう、という気がした。
涙をぬぐいながら、ほこりまみれの魚焼きグリルをあたため、5枚切りの食パンを1枚、セットした。
顔を洗い、歯を磨きながらパンの焼け具合をチェックする。いいかんじにきつね色に焼けたパンを裏返して、コーヒーメーカーにコーヒーをセットしようとすると、コーヒーの粉がスプーン1杯分しかなかった。

1ヶ月に1回、喫茶店を併設しているコーヒーショップで700g豆をひいてもらい、それを仕事がある日はスプーンに3杯ずつ使ってコーヒーをいれて出勤するのが私の長年の日課だった。
長年そうやって生きてきたのでコーヒーがないとすべてが狂ってしまう。

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