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自分では選べない時代に生きている

こんにちは
今日も ”ましうー” に来て下さり、ありがとうございます。

暑さ 真っ盛りですね。
そんな中元気いっぱい外を駆けずり回る子供たちを見ると、
半分心配をしながらも
エネルギーのかたまりを感じられずにいられません。

大人たちよ、熱中症の心配ばかりして
ちょっと弱すぎやしないか。

という自分も いっぱいいっぱいです。

ーーー

小学校とか中学校とかを見ていて思うんだけど、
それぞれ一つずつ違う学年に同じくらいの人数の生徒が
きれいに収まっていますよね。

不思議と,
一年ずれると生徒数が極端に半分くらいにまで減る、
なんて光景はほとんど見られない。

地域制などの事情から
その規模はすごく違ってくるんだろうけど、
数十人単位の同級生が何個かのクラスに収まっていて、
その上には先輩がいるし、下には後輩がいる。

たった一年の違いで子供の世界にも上下関係が生まれ、
それが年を重ねて大人になってくると、
余計に振る舞いや言葉遣いに規制が出てくる。

もちろん子どものころは成長ぐあいの差なんかも、前後一年ずれるだけでものすごく大きくなる。

たまたま生まれたのが早かったり遅かったりするだけなのに、
色々な倫理観やときには宗教観なんかが絡むことで、
今のような
年が上なんだから偉い、とか
年下なんだからいうことを聞け、
といった「あたり前」といわれる思想が、
大むかしからあるんだろうなぁと思うわけであります。

ーーー

「時代」というちょっと引いた観点からみると、
学校での学年のずれなんて
フルマラソンのスタートでコンマ何秒か遅れたことにこだわるようなもので、
さほど大きな問題とは感じられないでしょう。

世の中の流行なんかは1年ごとに変化をしていくけど、
学年というものは前後が帯のようにつながっていて、
ある年から衝撃的に変革がみられたなんてことはまずない。

「時代」というものは、かなり離れた俯瞰的な立ち位置に目線を置かないと、なかなか認識ができないのかもしれないですね。


「時代」と一言でいっても見方が色々あるわけで、
「10年ひと昔」というくらいのくくり方から、
「平安時代」「江戸時代」といった区別、
「恐竜時代」「近代」と広くするなど、
場合によっていろいろな大きさの定義がされている。

文明とか積み重ねてきた知恵だとか、科学技術の発達とかの有無で、
そのときそのときの生活スタイルが随分と異なってきた。

今この記事を書いている自分や、縁あってこの記事を読んでくださっている方々は、ITなるものが発達し、交通や医療やあらゆるノウハウが蓄積された「今の時代」を生きている。

Z世代と呼ばれる若者はこれが当たり前の世の中であり、
昭和を生き抜いてきた人にとってはほんの数十年ではあるが進歩とか変化を肌で感じ、
新しく得たものもあれば惜しくも失ってきたものもある。

たかが数十年の違いでも、とてつもない「時代の違い」があるわけです。

この違いの中で生きるとはどういうことなのか。

少なくとも、この世に生まれてきたタイミングの違いだけで、
周りの環境や考え方が全く異なってしまう、
ということは言えるのではないでしょうか。

ーーー

人が生きる上での境遇というものには色々な要素があり、
それは生まれた場所でかなりの部分が決まってしまう。

生まれた国や地域によって、文化や習慣が変わってくる。

戦争に関わったり難民となってしまうことも、国の事情によるところが大きい。

親がどのような地位や家柄かによって自分の教育や成長にも関わってくるし、職業の選択の自由も持つことができないことだってある。

親の離婚や死別によって、精神的ダメージや金銭的制約を受ける可能性は非常に高い。

親の信仰によって自分の宗教や思想が、自分の意志がないまま固まってしまう場合もある。

つまり
人が生まれてくる「場所」は自分で選ぶことができない
というのは決定的な事実である。

だけどそれがどこになるかで、それからの人生にとてつもなく大きな影響を与えることになる。


同じように、
人は生まれてくる「時代」や「タイミング」を選ぶことはできない。

でも生きていく方法や喜びや悲しみとかに、大きな関わり方の違いが出てくる。

これも運命とでもいうしかないのでしょうか。

我々が2020年代の日本(日本に生活している場合に限るが)という場所で生きているのは、まぎれもない事実だ。

たいていの人は、豊富な物質や便利な道具に恵まれ、
比較的清潔で武力行使のない生活を送っている。

トイレの技術って、改めて考えるとすごいレベルだと思うし。

でも本当に幸せを感じている人って、どれくらいいるのだろうか。
いつも時間に追われていたり、ストレスにまとわりつかれたりして、
苦しかったりつらい思いをしている人って、
けっこうたくさんいるのではないだろうか。

かといって、「今」のタイミングではない時代に生まれたらどうなんだろう。

自然やゆったりした時間の中にいることが当たり前になっているかもしれない。

反対に
肉体労働に明け暮れる生活をしているかもしれない。
食料を求めることにほとんどの時間を費やしているかもしれない。
常にあちこちで戦いが起きていて、平和を願っているのかもしれない。

結局はいつの時代にいようと、
しあわせという尺度は人それぞれで、
考え方や生き方次第でそれがどうにでも変わっていく、
ということなんでしょうね。


せっかく今この時代に生きているんだから、
与えられたものをうまく利用して、
楽しく有意義に過ごす方が良いに決まっている。

なかなか難しいことかもしれないけど、
上を向いて歩きたいと思うのであります。

涙がこぼれないようにするためではなく、
前向きな気持ちを持つという意味で。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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