まゆつばにもいろいろある。

大学入学直後くらいまで、「言語についてとにかく知りたい、わかりたい」という気持ちが優って、でも知識もなかったので、いま思えばかなり怪しい本もたくさん読んできました。
中には、「俺様は正しいんだ! 既得権益にずぶずぶに絡め取られた学者たちは真実を隠している!」と主張するタイプもあって、その手合いはすぐにわかるからいいのだけれど、まぁそういうのは置いておいて。


朴炳植『日本語の悲劇』情報センター出版局、1986

事情をご存知の方には説明不要ですが、著者はその昔、この本とその後刊行した関連書籍でわりと有名だったようですね。そんな事情を全く存じずに手に取りました(生まれる前のことだから…)。

著者は、「日本語は韓国語慶尚道方言から枝分かれした言語だ」と主張し、その説を解説している本なのですが、読み応えがあるのは冒頭部分です(プロフィールの情報を補足してまとめます)。

著者は1930年、(中朝国境の)咸鏡北道の生まれです。18の年に医学の勉強を続けるために韓国に渡り、その後貿易商を経て、建設会社を興します。会社は順調に成長し、一部上場企業にまでなりました。
1979年、著者はサウジアラビアでの大規模な港湾浚渫工事の入札に望みます。現地付近には必要な資材や機材をすでにスタンバイさせていて、自身もサウジに乗り込んでいました。あとは韓国の建設大臣から認可が降りれば、入札資格を得て正式に参加できる状態です。
ところが、駐サウジ韓国大使から電話をかけたにも関わらず、さる財閥企業の妨害によって大臣は居留守を使って電話に出ません。著者は妨害工作に憤慨します。既成事実を作ってしまおうと入札に参加しましたが、落札は叶わず、一世一代の勝負に出ていた会社は倒産してしまいました。

以来、「復讐の鬼」になってしまった著者ですが、学生のころから好きで得意だった語学に再会してやっと、今後の人生をよく生きるための目標を見つけたといいます。語学に親しむうち、関心が日本語の起源に絞られ、「日本語は慶尚道方言なんだな」と気づき、日韓の音韻対応の法則を見つけた、というのです。

この後の本文は、出鱈目系統論のお手本のような内容です。
しかし著者の数奇な運命と、プロローグの文章から溢れるパワフルだけど人懐っこい感じが魅力的で、先日古本市で見かけて思わず再購入してしまった、そんな本です。

砂川恵伸『平成衝口発 上代音韻のミステリー 宮古島方言は上代音韻の原型である』新泉社、2010

この本は、私が宮古島方言について調べ始めたばかりのころ、つまりまだ右も左もわからないころにたまたま検索に引っかかって、齧り付くように読みました。そのような意味で大変思い出深いです。

著者は、宮古島方言には「き」と「ぴ」の発音が2種類あって、これは上代音韻の原型であると主張します。
何ともロマンを掻き立てる主張じゃないですか。それと、ここ、「宮古島方言が上代の音韻を色濃く残している」ではなくて、「宮古島方言が上代音韻の原型である」と主張しているところがポイントです。

著者はいろいろな資料をもとに、「こうではないでしょうか」「このように考えられると思います」という感じで進めていて、大変感じの良い本です。
途中から漢籍の話が始まり、小難しく感じて読むのをやめてしまったのですが、宮古島方言の音韻体系が上代音韻の原型とはいったいどういうことなんだろうと、ずっと引っかかっていました。

どうにかして宮古島方言の体系を掴みたいと思っていた私は、それからしばらくしてようやく言語学大辞典の「琉球列島の方言」>「宮古方言」の項目に辿り着きました。ここで、そもそも著者が立てていた主張が大きな間違いであることに気づいたのです。つまり、著者の言う2種類の「き」「ぴ」は上代特殊仮名遣とも、万葉以前の音韻体系ともなんら関係はなく、共通語「け」「ぺ」と「き」「ぴ」に当たる拍を指していたのです(宮古島方言を知らない方には意味をなさない説明ですね)。

言語学大辞典を先に引いていれば、宮古方言がどのような体系であるのか基礎的なことがわかって、迷い込まずに済んだのになぁという印象です。難しくて挫折したものの、地の文の印象がとても良かったので「あちゃー」と残念に思いました。

***

以上2冊は、著者が言語学者ではない、門外の方なので、私側のリテラシーが高ければそもそも出会わなかった本です。なので、「間違いを断罪する!」という意図ではなく、懐かしいなぁと思いながらこの記事を書いています。
次は打って変わって、タイトルにびっくりし、著者名にびっくりし、開いてみて1ページ目で愕然とした本です。

工藤進『日本語はどこから生まれたか: 「日本語」・「インド=ヨーロッパ語」同一起源説 』KKベストセラーズ、2005

著者の名前に覚えがあるので検索してみますと、大学書林、白水社から著作がある方で、プロフィールを見ると東京教育大学(筑波大学の前身)で言語学を、その後博士課程ではフランス語フランス文学を専門としていたとのことです。

そんな著者が、なぜこんな見るからに眉唾なタイトルの本を出したのか。世間に跋扈するインチキな系統論を皮肉るためなのかな、と思いながら読み始めました。

「はじめに」の衝撃

次の引用は、「はじめに」の1段落目です。つまり、この本の、文字通り最初の文章です。

 ドイツ語、ロシア語、フランス語、英語、イラン語、ヒンディ語、といった現代印欧語に対し、これらの直接の先祖であるゴート語、古スラヴ語、古代ギリシャ語、ラテン語、ペルシャ語、サンスクリット語など、正体のはっきりわかっている古印欧語と呼ばれる言語がある。この古印欧語はその先にあったと思われる一大言語から枝分かれしたと考えられている。この大言語「印欧祖語」の姿は、古印欧語の共通点を通じてある程度推測してみることが可能だ。印欧語比較言語学は中間の古印欧語がしっかり存在したことで成り立っている。

p3「はじめに」

これって、とりわけ言語に関心のあるわけではない方は、さらっと素通りしてしまうかと思うんですが、間違いだらけ、問題だらけで、ほんとうにお話にならない。結局この著者は、聞き齧った雑学を理解できないまま、知ったかぶりしているに過ぎない。そんな言及に満ちた本は読者に偏見や間違いを植え付けても、正しい方向に導くことなど絶対にできません。「多少間違ってても、興味ある人が増えればいいのでは」と主張したい方は少し待ってほしいのです。初期段階の刷り込みは恐ろしいし、正しく理解されないまま雑学として独り歩きをしたらまずい。

・まず、「ゴート語」はドイツ語の先祖ではない。
・「古スラヴ語」が、古代教会スラヴ語を指しているのであれば、確かに古代教会スラヴ語はスラヴ祖語の代替として扱われるかもしれないが、やはり先祖ではない。
・ここまでドイツ語とゴート語、ロシア語と古スラヴ語を対応させてきたらしいのに、次に来る「フランス語、英語」に対して「古代ギリシャ語、ラテン語」を並べるのは不適当。
・「イラン語」じゃなく「現代ペルシャ語」と言うべきだろう。古代現代の対立を「ペルシャ・イラン」で扱うのは不適当に思える。
・サンスクリット語も、やはり(「サンスクリット語」と呼ぶ以上は)今日に伝わる書き言葉のスタイルであって、ヒンディー語の直接の先祖ってのは言い過ぎ(定義上ね)。
・「正体のはっきりわかっている」←「まとまった量の文献がある」?
・「古印欧語」の定義と範囲が不明。
・「その先にあった」←「それより以前に存在した」の間違い?
・「一大言語」って何?
・「古印欧語の共通点を通じてある程度推測」? ……この「推測」ということばは、どうせ再構とか再建を意味するのではないのだろうな、という諦めもある。この部分、もう一度引用しますと、

この大言語「印欧祖語」の姿は、古印欧語の共通点を通じてある程度推測してみることが可能だ。印欧語比較言語学は中間の古印欧語がしっかり存在したことで成り立っている。

p3「はじめに」

となっていますが、この2行を私が編集担当なら、

「印欧祖語」の姿は、印欧諸語の比較によって再建することができる。印欧語の比較言語学は、特にその草創期においては専ら古い時代の文献資料を対象としていた。

ぐらいまでに書き直した案を見せて判断を仰ぎます(これだって専門家からはツッコミを受けそう)。こういう文にすらなっていないあたりが、著者がもろもろ理解していない感じがして危ういのです。

同じ3ページ、2段落目の締めくくりにはこうあります。

本書で推定しようとしているのは、語彙単位の比較によるものではなく、できるかぎり古い日本語(これを日本語とは呼べないにしても)の構造と、他言語の構造との関わり方である。

p3「はじめに」

まず「語彙」を「(単)語」という意味で使っているらしい点でダメなのですが、この後著者が展開しているのは、古い時代の日本語を再建した上で印欧語との対照・比較を試みるのではなく、「日本語と、この言語にはこんな共通点があるね」という視点でして、まぁざっくり言えば「このポケモンとあのポケモン、どちらも水タイプですね」「なんと、遠く離れた地方に生息するにもかかわらず、どちらもレベル50でハイドロポンプを覚えるのですね」というレベルに過ぎない。

続くp4にはこうあります。

印欧語前(ママ)の言語とされるドラヴィダ語の系統をひくタミル語が日本列島に直接伝来し、日本語の基になったとは私にはまったく思えないが(以下略)

p4「はじめに」

著者は、ドラヴィダ語を「印欧語より古風な段階を留めている言語」とでも認識しているのでしょう。なぜそう言えるか。17ページにも「原日本語と、印欧語以前の言語とされるドラヴィダ語との間に」とあるためです。

そもそも「印欧語前の言語とされる」というのは、“インド地方では印欧諸語よりもドラヴィダ語族の言語が先に話されていた”ということですよね。この、正しく理解できていないあまり、他所で読んだ文章についている補足的な修飾語を本質情報だと思い込んでいるの、この後もちらほら見られます。

「はじめに」にはこの後次のようにあります。

意味を表す語と文法機能しか表さない語との並列的連結からなる膠着語としての日本語と、人称、数、格といった基準で語が構造的に対応し合う屈折・照応言語としての印欧語とはまったく違う言語と考えられてきた。しかし印欧語をさかのぼると、こうした文法枠は必ずしも大きな差異ではなく、印欧語を他言語から決定的にへだて特立させるものではない。また現代人の遺伝子の共通性は、現代のヒトの間に超えられない言語の壁が生まれる理由のないことを示している。

p5「はじめに」

ここを読むと、工藤がただ用語を取り違えているのではなく、そもそも根本的に比較言語学を理解していないんだ、と気づきます。人称、数、格という特徴があると印欧語族に分類される、とでも言いたいのでしょうかね。
おまけに、遺伝子に対する言及など、意味不明です。

遺伝子研究が言語系統の枠を乗り越える!?

第一章に入ります。
次に引用する2箇所から、著者がやはり「語族」ということばを理解していないことがはっきり伺えます。

十九世紀に生まれた比較言語学はインド・ヨーロッパ語を中心とした語族という概念を定着させたが、ヒトの系統を探求している最近の遺伝子研究は、印欧語基準でうち立てられていた言語系統の枠をいわば乗り越えてしまった。こうして伝統的意味での「語族」を超える概念が生まれている。印欧語とアジアの言語、さらにはアフリカの言語まで含むこれよりはるかに広範囲な言語圏の観念が生じたのはこのような言語以外の研究や蓄積による。

p14「遺伝子研究が変える言語の系統」

ちなみに「『語族』を超える概念」に注がついており、「ユーラシア語」「ノストラティック語」の紹介があります。

民族と言語が一致するとは決してかぎらないが、今は印欧語文法の頃と違い、原日本語と、印欧語をさかのぼるユーラシア語とのつながりを想定しておかしくない時代である。

p16「ユーラシア語とつながる日本語」

遺伝子研究が進んだからと言って、何語でも印欧語族に加えていいということにはなりません。

次は、56ページです。これほど正しい情報がないページというのもすごいですね。そろそろ私が作り話をしていると疑いをかけられそうですが、この記事に引用してある箇所は本当にそう印刷されているのです。

印欧諸語の分類は諸説あるが、ふつうヨーロッパ語群とインド・イラン語群の二つに大別される。これを簡単に表示すると次のようになる。

ヨーロッパ語群
 西ヨーロッパ系(イタリア語・フランス語などラテン語系言語、英語・ドイツ語などゲルマン系言語、ケルト語を含む北欧系言語、ギリシャ語)
 東ヨーロッパ系(ロシア語、ポーランド語、チェコ語、スロバキア語、マケドニア語、ブルガリア語、セルビア語などスラブ系言語)

インド・イラン語群
(パルシー語、アフガニスタンのパシュトゥン語を含むイラン・ペルシャ語、ヒンディ語など)この語群は、トルコ半島、中東、イラン、インド、パキスタン、アフガニスタンから、東は中国のウイグル地区までの広大な地域に分布する。

 これらの語群の直接的祖語として、ラテン語、古代ギリシャ語、古代ペルシャ語、サンスクリット語、インド・イラン語群の祖語としてのアヴェスタ語がある。とくにサンスクリット語とアヴェスタ語は共通点が多く、これらの祖語の中で上位にある。トルコ(トルコ語は印欧語ではない)からコーカサス地方にかけてのアルメニア語、アナトリア語などはこの二大区分より古いとされ、アナトリア諸語の一つ、有生、無生二つの性の区分をもっていたヒッタイト語は、文法的に古代ギリシャ語の前段階にあるとされる。
 ある統計によれば現在世界の人口の半数は印欧語系の言語を用いていると言われているが、印欧語と対置させられることの多いセム・ハム系の言語(アラビア語、ヘブライ語、エチオピア語、ベルベル語、古エジプト語、フェニキア語、アッカド語など)も、古くは印欧語とつながりをもつと考えられている。

p56 注1

もうどこから手をつければいいか分かりませんね。
・印欧語族をヨーロッパとインド・イランに2区分?(初耳
・東西ヨーロッパはもしかしてケントゥム・サテムを意味している?
・「ケルト系を含む北欧語」?
・そして「パルシー語」って何?(ペルシャ語のこと?
・「トルコ半島、中東、イラン、インド、パキスタン、アフガニスタン」?
 西から「トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド」と並べるほうがいいんじゃない?
・「祖語として上位にある」って何?
・「アルメニア語、アナトリア語などはこの二大区分より古い」ってどういうこと? 
・世界人口の半数が印欧諸語を(例えば公用語として)話しているとして、それが印欧祖語とアフロアジア祖語の話者が過去に接触したかもしれないことと、どう関係があるの?
などと、私のような在野の好事家が読んでも、頭が痛くなりそうです。

”アフガニスタンのパシュトゥン語を含むイラン・ペルシャ語”
”インド・イラン語群の祖語としてのアヴェスタ語”
”有生、無生二つの性の区分をもっていたヒッタイト語は、文法的に古代ギリシャ語の前段階にあるとされる”
の3か所は、先に指摘した、補足的な語句を本質的な情報と思い込み、理解できないまま書いている感じがします。
「ここで言うパシュトー語にはアフガニスタン側の変種も含むよ」
「サンスクリット語とアヴェスタ語と非常に近縁で、ここではアヴェスター語をイラン語群の代表として扱うよ」
「ヒッタイト語は名詞に男女の区別がなく、もしかしたらこれは印欧語のより古い段階を示しているのかも」
みたいな記述を読んだのでしょうね。

ついでに57ページ。

印欧語最東端のトカラ語は、言語の特徴としては近接するインド・イラン語群ではなく、西ヨーロッパ系の印欧語(ギリシャ語、イタリア系、ケルト系言語、ヒッタイト語)に近い。閉鎖音の無声(p, t, k)有声(b, d, g)の違いがなく、無気(p, t, k, b, d, g)有気(ph, th, kh, bh, dh, gh)の違いもないのはアイヌ語に似ている。

p57 注2

「○○語に近い」。大嫌いな表現です。まあこの際それはいいや。
この部分が意味するところは、トカラ語が、印欧語の中で最も東で話されていたにも関わらず、(東側の印欧語に多い)サテムグループの特徴を示さず、(西側の)ケントゥムグループの音韻体系をなしている、ということですが、それをもって「西ヨーロッパ系の言語に近い」って断言するのがダメですね。コウモリは鳥類だしクジラもサメも硬骨魚類ということですか。

それと、些細かもしれませんが「閉鎖音の無声有声の違いがなく」ではなくて「閉鎖音に有声無声の区別がなく」とするほうがいいと感じます。そしてアイヌ語には確かに閉鎖音に有声無声、有気無気の区別がありません。でも、だから何なのって感じですよね。

著者は、何か特徴を共有していることすなわち因果関係にある、と判断しているように見えます。

以上見てきたような、自身で理解していない他人の言及を無責任に継ぎ接ぎする形で言説を構成するの、なにか名称が付いてるんでしょうかね?

もう続けるのが面倒になったのでやめますが、この著書が信用に足らないことだけはお伝えできたかと思います。

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