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*ネタバレ*「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」劇場版 感想 追記


 まずは率直な感想はこちら
「*ネタバレ*「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」劇場版 感想」
https://note.com/mashiro_yuh/n/n435c0551648e
ここを読んでいただいてからこちらの記事をどうぞ。

 どうしても「テレビ版」の画像に拘(こだわ)るのはやはり私にとって「新世紀エヴァンゲリオン」はテレビアニメだったからです。
 この根本敬的なパラノイアみたいに文字をぎっちぎちに詰め込んだLDジャケットは現在すっかり姿を消してしまい、公式に発売されているDVDやブルーレイでも観られなくなってしまいました。
 恐らくはありものの素材か、はたまた「絵の情報量」という意味では決して多いとはいえないセル絵に無理やり情報量を足すかの様な「文字」を詰め込んだジャケットはいかにもこのアニメらしいそれですな。

 すっかり「真希波マリ・イラストリアス」が「安野モヨコ」説が支配的になってますな。
 まあ、恐らく事実なのでしょう。
 ほぼ唯一テレビシリーズ、旧劇場版にも登場していなかったのに唐突に登場して美味しい所を強引にかっさらっていったこのキャラは、決して「ストレートな美形キャラではない」だけではない「異物感」を放っています。

 まあ、ぶっちゃけ監督がどの声優さんに振られただの、女性遍歴がそのまま作風に影響しているだのはどうでもいいですわ。

 遂に公式から「綾波が田植えをしている」場面を含む予告編が公開され、言ってみれば「ここまでは公式ネタバレ」状態となりました。

 不思議とエヴァ界隈は「よくぞ綺麗に終わってくれた」「感慨深い」「お疲れさまでした」と歓迎ムードです。
 私も「これで成仏できる」「浄化された」組なので、基本的には同意ではあるんですが、それでも「絶賛一色」には与したくないところがあります。
 どうしてそうなるのかを軽くね。

「だべり部 アニメ・ゲームその他について語りつくす!」
https://ncode.syosetu.com/n8452co/
「「新世紀エヴァンゲリオン」について 01」
https://ncode.syosetu.com/n8452co/71/

で、当時のアニメを取り巻く周辺状況については語っています。
 79年に放送された「機動戦士ガンダム」は「アニメ第二の波」と称されるほどのブームを巻き起こし、ロボットアニメは「リアルロボットにあらずんばロボットアニメにあらず」という様な空気になっていきます。
 ところが、リアル路線を突き詰めれば突き詰めるほど、物語的な「抜け」は少なくなっていき、どんどん閉塞状態に陥ってしまいます。
 実際、90年代に差し掛かるころにはロボットアニメなど壊滅状態に近い惨状でした。
 そんな中、「ロボットアニメのルネッサンス(復興)」「集大成」という歴史的な役割を必然的に背負いながら「新世紀エヴァンゲリオン」は船出することにならざるを得ませんでした。

 繰り返しますが、エヴァンゲリオンの「クリエイター」たちの平均年齢はなんと24歳(!!)。
 それが29歳の女(ミサトさんね)が準主役のアニメを作っていた訳です。
 まだ「オタク第一世代」が30代だった時代です。今と状況がまるで違います。今やオタク第一世代は下手すると還暦です。

 面白い説があって、私も現物は確認していないのですが、放送前に配布された資料に「使途が30体」であることを示唆するものがあるというのです。
 まあ、エヴァのことなのでこの手の変更は日常茶飯事ですが、同時に実はエヴァは「身長」の公式設定が「50メートルから200メートル」と無茶苦茶にアバウトです。
 これは「演出上、最も画面映えするサイズにその都度する」ということなんですね。
 実際、エヴァの序盤があれほど熱狂的に迎えられたのは、偏執狂的な作りこみと画面の密度、空恐ろしいほどの「情報量」によるものだったのは間違いありません。

 「人間同士の政治劇」で袋小路に陥った「リアルロボットアニメ」をあざ笑うかのように、エヴァは「それ以前」の状態に原点回帰したアニメでした。
 何しろ「毎週襲ってくる『怪獣』」を「パパの作ったロボット」で倒し続けるアニメです。
 もう、「スーパーロボット」ですらありません。
 「ウルトラマン」の世界に先祖返りしていました。

 実際、猛烈な「特撮リスペクトアニメ」です。
 この辺は細かい研究など幾らでもあるのでそっちを読んでください。
 私は「エヴァンゲリオン初号機」が猫背なのは、「ウルトラマン」のスーツアクターが、スペシウム光線による爆破に「腰が引けている」状態を再現したものである・・・駄知識を披露するに留めます。

 特に「謎の円盤UFO」というイギリス製の実写ドラマを調べていただくと、余りにもエヴァとの類似点が多く、ガイナックス(当時)の創造性を妄信している向きにはかなり絶望を味わえるでしょう。
 何しろ、ゲンドウ、冬月、ミサト、加地さんにいたるまでバッチリモデルがいるんですから。そもそもこの中に登場する「シャドー」こそ「ネルフ」の直のモデルです。

 では、どうしてあの「25・26話」及び「旧劇場版」のラストがあれほどの不興を巻き起こしたのか?についてひとくさり。

 簡単に言えば「納得できなかった」からです。
 そもそも「ウルトラマンを現代風にロボットアニメに翻案したアニメ」でよかったはずだったのです。
 今では余り指摘されませんが、シンジは話数によって性格がまるで違い、何が起こっても基本成長しません。
 まるですべての話数がパラレルワールドであるかのごとくです。
 ちなみにこの「シンジの性格が不統一」問題は「旧劇場版」である程度の調節が図られているために目立たなくなっているだけです。

 要するに「様々なシチュエーションで襲い来る謎の怪獣」を倒すにあたって「その回でベストな演出をする」ことしか考えていなかったと思われるからです。

 実は「ウルトラマン」シリーズは「統一の敵」組織を持ちません。
 その都度地球のあちこちに別の原因で別の「怪獣」が湧き出してきて、ウルトラマンはその都度「対処法的に」討伐することを繰り返さざるを得ません。
 これは「戦隊もの」「ライダーシリーズ」「宇宙刑事シリーズ」にもないウルトラシリーズ独特の特徴です。

 「敵組織が、味方が口上をあげながら変身ポーズを決めている間に襲い掛かってこないのは何故か」とか「地球侵略のためにやってきているはずの宇宙人が、どうして日本の主人公の周辺にしか襲ってこないのか」といった「お約束の疑問」があります。

 ただ、そういうのは言ってみれば「言わないこと」になっていました。
 いうまでもなく「そういうことを言い出したらそもそもお話にならない」からです。
 ところがエヴァは、そこに果敢に挑みました。
 「使途がどうしてネルフ本部ばかり狙うのか?」とか、「どうしてパイロットは子供でなくてはならないのか?」といった「お約束」の一つ一つについて「きちんと考えられた意味がある!」とし、その「謎」を前面に押し立てて「謎が謎を呼ぶ展開!」として煽り立て、なお一層視聴者を熱狂させたのです。

 結局、それらについて体系立てて納得のいく説明は一度もしてもらえた記憶がありません。
 何しろ「おめでとー」で全てを済ませてしまったんですから。

 これに関しては「シン・エヴァンゲリオン」に至ってもそうで、結局のところ「死海文書」とは何だったのかとか、ゲンドウの狙いが迷惑にも既に死んだかーちゃんを復活させるという自然の理(ことわり)を強引に曲げることであったために人類の九割を犠牲にしてしまった・・・ことはまあ、いいとして「結局使途ってなんだったの?」という問いの答えにはなっていません。

 前のチャプターで「テレビ版、旧劇場版はバッドエンド以外は時代の要請としてありえなかった」とは書きました。
 ただ、「からくりについてちゃんと説明する」ことは出来たはずだったのです。

 新劇場版のみを楽しんでいる方々は、テレビ版からのリアルタイム組が「最後の種明かし」をどれほど欲していたかは説明するのが難しいです。
 下手すると当時のリアルタイム組でももう覚えていないかもしれません。

 ただ、こうしたことは「明かされていない」からこそ「マジック(魔法)」として機能するとはいえます。
 どれほどアッと驚く意外な真相があったとしても、明かされてしまえば「なーんだそういうことね」になってしまうのです。
 いつまでも「マジック」を保つには?
 そう、明かさないことしかありません。
 そもそも「意外な真相」なんぞ実際には何もないのです。
 25年待った「シン」に至ってすら、エヴァパイロットが「14歳でなくてはならない」理由なんて遂に分かりませんでした。
 そもそも16歳のマリが搭乗していますし、ネタバレになりますが「シン」では遂にゲンドウがエヴァに搭乗します。年齢制限は?

 確かに、殆(ほとん)どあらゆるキャラクターのその後についてフォローされ、大半が「よかったね」と言えるラストに至りました。
 それについて、ハッピーエンドであるがゆえにとまでは言いませんが、ある程度癒されたのは間違いありません。

 ただ、「結局『謎』なんて何の意味も無かったじゃないか!」という権利はあるでしょう。

 序盤で「使途とはいったい何なのか!?」とあれほど視聴者と共に悩み苦しんでいたのに、「シン」でそんなことを気にしている登場人物など誰もいません。
 そもそももう「人類対使途」という構図ですらありません。
 ならどんな構図なのかと言われると困るんですが。

 恐らく、今もって「結局、『謎』って何だったんだ!?」なんてテーゼを逆説的にであれ掲げているのは私くらいでしょう。
 大半が「そんなことどうでもいい」と思っていることと思います。

 結局「お約束」は「お約束」でしかなく、それを強引に「克服する」ことなんて出来ないし、する意味もない。結局できなかったし、無用の混乱を招いただけでした。

 まるで「ローラ・パーマーを殺したのが誰か?」なんてどうでもよかった「ツイン・ピークス」の様です。
 2017年に新シリーズが放送されたことで、「尻切れトンボ」で放り出されていたシリーズが完結したという意味では、色々な意味でエヴァに似た作品です。
 ただ、「確かに一応は解決したと言って言えなくもない結末には違いないけど・・・こういうのが見たかったんだっけ!????」としか言えない作品でした。

 第三新東京市は「箱庭的」と称されるほど「外の世界」が描かれないため、そもそも最初からあの世界には登場人物以外の人類は誰もいないのではないか?などという薄気味悪いことも言われていたのですが、特に「新劇場版」でやっとちゃんと「続き」が描かれることになったため、話のスケールだけは地球規模になりました。

 この点、「壁の中」から地球全体に視野が拡大した「進撃の巨人」と共通しているように思えます。
 まあ、こうした物語の元祖的存在としてアーサー・C・クラークの「都市と星」があるのはこんなコラムをお読みになっている方には自明でしょうけども。

 ともあれ、何が言いたいかと言えば「結局『謎』についての説明はちゃんと受けてないことは忘れてないからな!」という、旧ファンの恨み節ですよ。勿論冗談めかしてですけどね。
 なんか、テレビ版最終回の阿鼻叫喚が「20年の時間が解決」して和解したみたいなことになってるのは・・・やはりちと納得はいかないですね。

 「これでエヴァが本当に終わっちゃう」なんて言ってる人もいますが、終わるわけがないじゃないですか。
 下手するとこれからが本番ですよ。

 「機動戦士ガンダム」がたった1年で綺麗に終わってから一体どれだけ儲けたと思ってるんですか。
 「ドラゴンボール」なんて現役で連載されている最先端漫画と売り上げはタメを張るどころかトップ争いですよ?

 これだけの長期間にわたって親しまれた作品が、本編が完結した程度のことで終わる訳がありません。

 とりあえず、これは言っておかなくてはいけないと思ったので言っておきました。
 当時の私と、そして周囲の人たちにタイムマシンでこういいたい。

『な?だから謎なんて何の意味もないって言っただろ?』







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