死ぬために生きるのもまた人生

こんにちは、ヴァルニーナです。

皆さんは死ぬのは嫌ですか?

いきなり物騒なことを言ってますが、大体の人が死ぬのは嫌だと思います。

この世に生き物はその順序がどうであれ、最後には死にます。
これは今現在覆すことの出きない事象です。
仮に後々、人類が死という概念を超越する可能性はありますが、今生きている人々はそんな時代まで生きていることは無理だろうと思います。

なので自分は『死ぬ為に生きよう』と思いました。

死という概念は今の人類には到底超えることの出来ない大きな壁です。
なのでそこはもう受け入れて、死ぬために生きていれば仮に何処か何かで死んだとしても「自分はこの日を迎えるが為に生きていたんだ」と納得して逝ける気がするんですよね。

まぁ実際死に際に何を思うかなんてその時になってみないと分からないので、気休め程度の考えなんですけどね。

ただ、この死を意識する考え方は決して悪い事ではないと思っています。
この考えを持っている子で、いつ何があるかも分からない、保証も導も無い現代において出来るだけやりたいこと、出来ることはやろうと思えるようになるなと自分は思います。

逆に、何か物事をするうえで「これをやったところで死ぬわけでは無い」と思うと物事を始めるフットワークやらハードルが少し軽くなるんじゃないかなと思います。

例えばバイオリンを20歳から始めたいとして、確かにバイオリンは幼い頃から触れていた方が上達は早いでしょう。でもですよ、その歳からバイオリンをやってみたいと思って始めたら死にますか?そんなこと無いでしょう?
逆に続かなくってやめたら死にますか?それもそんなこと無いですよね。

こんな風にやってみたい事をやった所で大抵の場合死ぬことはないので、何かやりたい事がある人は一歩足を伸ばしてみても良いのでは無いでしょうか?

…まぁ本気で死ぬような事をこの気軽さでやってはいけないですし、倫理や法に触れる事はやってはいけないですけど。


少し話がゴチャついてきてしまってきてますが、何が言いたいかというと…
要は『死という概念は必ずしも悪いものでは無い』という事です。

確かにマイナスなイメージが多い概念ですし、時に人を悲しませたり傷つけたり、絶望させたりします。

ですが、死という概念を意識することで気持ちが少し楽になったり、何かやるうえでのハードルなんかを下げてくれたりします。

意識しすぎるとそっちに引っ張られてしまうので、あくまで程々に意識することが大事です。

それとこれは考え方の一つで正解では無いので、こういう考え方もあるといった具合に捉えていただければと思います。


長々とお付き合いいただきありがとうございました。
あまり文章を書き慣れていないもので、見苦しい部分があったら申すわけないです。色々と不安定で先が見えにくい時代になってしまってはいますが、程々に頑張りながらnoteを更新していこうかと思います。

だってnoteを書き続けたって死ぬわけではないんですから。

ご閲覧いただきありがとうございました。

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