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最近、皿がよく割れる。幸せの前兆かもしれない。

この一か月ほどでお皿を二つ割ってしまった。

その一か月前、食器を最小限に減らしたばかりだ。だから、これ以上減るのは困る。



アニメや、ドラマで、突然食器が割れるシーンがあると、それは不幸の前兆だ。間違いない。皿が割れるのと同じ頃、大切な人が戦場で戦っていたり、ひどい目に遭っていたりする。


だけど、私の知り合いに戦場に行っている人はいない。たぶん、みんな日本でそこそこ平和に生きている。



ではなぜ、私の皿がこんな割れるのか?

これより前に皿を割った記憶は思い出せない。

食器を最小限に減らすとき、残した皿がこんなに割れることは想定していなかった。皿は割れなければ、半永久的に使えるのだ。割れることを想定していなければ、余分を持つなどという発想にならない。

だから、必要最低限の数にへらした。

なのに、この一か月で2枚も皿を割ってしまった。

これ以上減るなら買い足さなくてはならない状況だ。

なぜ、こんなにも皿が割れるのか。誰かの身に不幸が訪れているのか?



しばらく考えたが、その原因はすぐにわかった。


料理をするようになったからだ。

1枚目の皿を割ったのは、食器を洗った後、うまく水切り台に立てられず、落としてしまったから。

2枚目の皿(ヘッダーの写真のもの)はカラメルを作ろうとレンジで温めすぎたため、割れてしまった。真っ二つに。


つまり

単純に、食器の利用頻度が上がったから、皿が割れるリスクが上がったのだ。

そして、慣れない料理などをしているから、皿を割るリスクが更に上がるのだ。

これは決して不吉なことではないのだ。



いや、

むしろ、幸せの兆候かもしれない。


私は2か月ほど、うつ病を発症し自宅療養をしている。

うつ病を発症前後は、料理なんてできる状態ではなかった。毎日カップラーメンかスーパーのお弁当ばかりだった。

そう言われてみると、最近カップラーメンや弁当を買わなくなった。できる限り自炊をしている。

3食きっちりではないし、栄養バランがちゃんと取れたものでもないけれど、自分で作ったものを食べている。

これはすごい進歩だ。

皿が割れるのは、そのせいだ。

これは自分で料理が出来ている証拠で

日々の活動量が上がった結果で、

この病気が回復に向かっている証なのだ。


そう考えると、お皿が割れてしまっても悲しい気分になる必要はない。

もしかして、虫の知らせかもしれないと勘繰る必要も無い。

そうだ。


かわりに大切に扱えるお気に入りの食器を探しに行こう。


今はコロナ自粛生活中なのでインターネットで素敵な食器を検索してみるのもいいかもしれない。




お皿が割れたことで新しい食器に出会い、新しい生活が始まる予感がする。



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