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「違国日記」、観たよー!

※ 映画ネタバレあり






映画「違国日記」、観てきました!
もともとガッキーが主演映画化するというのを先に知っていて、原作を勧められて読んだらまんまとはまった。最近興味のあったグリーフというテーマが絡んでいることもあり、ぐいぐい読み進め、結末に感無量。
歳を重ねるごとに読み返したいとおもえる大好きな作品となりました。
そんなわけで映像化も楽しみにしていたのですが、原作を読みながらも「映画化、難しいのでは…?」と思ってしまう作品でもあり。
なんというか、心の機微が繊細で。主人公のまきおさんの職業が小説家ということもあり、言葉と、文字と向き合う、ときに孤独なまきおさんの葛藤を、そしてもとより多感な年頃であるのに重ねて両親を突然亡くすという出来事に見舞われてしまった朝ちゃんの混乱と成長を、映像としてどうあらわすのだろう。

まことに残念なことに、私が映画館に足を運ぶ前にひとつの批評を目にしてしまいました。
それはXのおすすめ欄で。おそらく公開前から「違国日記」というワードを投稿していたために自動で出てきてしまったのだろう。それはどちらかというと(というか正直物凄く)ネガティブな意見の批評でして、見たくなかった―…というのが正直な気持ち。なんの先入観もなく見たかった…

そして映画館へ。
うん。分かった。なるほど。その目に焼き付いてしまった批判も、分からんでもない。
しかし、それよりも、わたしはあの原作の世界に色と動き、音がつけられていることが幸せだった。それが一番の正直な感想でした。
正直、原作のあの部分が、とか言いたい気持ちは全くないではないが、
まきおさんのタイピングの音
朝ちゃんのえみりのLINEの会話
雑然とした二人の居住空間
廊下に響く朝ちゃんのハミング
えみりと朝ちゃんが靴下で歩く体育館の床の音
それらを聞けただけで、彼らが生きている音を聞けただけで、この映画を見に来た価値があったと思いました。
特に、お葬式のシーンの、朝ちゃんの脳内で音が意味を無くしていく過程は、漫画を目で追っているだけでは決して味わえない気味の悪さ。あれを体験させてくれてありがとうと思いました。
そのあとのガッキー演じるまきおさんの目つきは原作の表現そのもので、朝ちゃんの掬い上げられた感覚が伝わってきた。
原作にはなかった、両親を亡くした直後のあさちゃんが、指先の感覚をそっと確かめるシーン。
いつもあると無意識に信じていた“普通”が無情理に奪われた、その瞬間からさっきまでと自分の身体が違って思えてしまうあの感覚は、身近な人を亡くしたときのことを思い出して鳥肌がたった。
エンディングも、無理に原作に沿わなくてよかった、と思えた。
原作のエンディングは長い時間をかけて作り出された二人の関係であって。
映画という限られた映像の中で、描けるものには限界があるのだと思いました。
原作のある作品が映像化されたときにある程度、原作と比べてどうか…みたいな議論ってあると思うのですが、そもそも小説、漫画、アニメ、ドラマ、映画、と、それぞれ表現できるものが違っていて、すべてをカバーする万能なものなんてないんだろうな…と思わされた機会でした。
わたしは原作が好きなので、映画を見た人にはぜひ原作を、原作を読んだ人には映画もいいよと勧めたい。





(かと言って、納得できないよー!というポイントはあります!
お葬式のまきおさんのセリフ!そこ削るかあ!それ聞きたかったのに!とか…
笠町くんそんなに口軽くないよぉー…!とか…
一番は森本さんのこと…)

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