就活に「個性」なんているのか。

日本の就活はどうやら変らしい。よく目にするのが、「散々、みんなに合わせろと教育してきたのに、就活では個性を見せてくださいなんておかしい!」というもの。たしかに。おかしい。けど、僕はそこで一つ疑問に思う。就活に個性なんて必要なのか。求められているのか。
人事が使っている「個性」と、就活に異を唱えている人が使っている「個性」は、全く違う意味で、人事が使っている「個性」の意味を理解していないから、なんだか就活に違和感を感じるのではないか。

もう少し詳しく書いていく。
就活に異を唱えている人の言う「個性」は、恐らく、「人とは違う突飛な、突き抜けた、インパクトのある、その人の特性」のことを指している。
イメージで言えば、岡本太郎的な感じだ。みんながビルの絵描いているのに、1人だけビルに目と口をつけて、羽根もつけて飛ばしちゃうような、そんな個性。確かに、そんな個性は高校までの教育では、あんまり良しとはされなかった。というか、そんなことする余地すら与えられなかった。なのに、急に、就活で、岡本太郎的個性を求められたって、そんな無茶な!って話になるのは、すごくわかる。そりゃあ無茶だ。

けれど、ここで一度、就活を経験した人間として、人事が使っている「個性」について考えてみると、どうも、そんな岡本太郎的個性ではないように思える。人事が使っている「個性」は、「あなたにしかない経験、価値観、視座」のことを言っている。先程のイメージで言えば、みんなとおんなじように、ビルの絵を描くけれど、そこで、タッチだったり、色づかいだったりで、自然に出るあなたらしさのこと。
美術の実習で描いた絵を思い出してみてほしい。みんな同じものを書いてるのに、同じ絵なんて一つもなかったはず。
人事が使っている「個性」。それは滲み出た、意図しない自分らしさのことなのだと思う。
そして、就活では、そんな滲み出た自分らしさを、自己分析を通して客観的に認識して、ESで言語化して、面接という対面のコミュニケーションの中で伝えられるのかを問われていたように感じる。
つまり、就活は、あくまで今までの教育の延長線上にある。けれど、個性の意味を取り違えてしまうと、自分に「岡本太郎的個性」がないことに嘆き、なんで急にそんなものを求められるのかと違和感を感じる。
でも、気づいて欲しい。嘆く必要も焦る必要もない。なぜなら、君が君の人生を生きるだけで、君は「個性的」だから。

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