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あと何を話したらいいの

言葉がどこかに行ってしまった気がする。

毎日飽きもせず、再現の難しい音の言語を練習したり、高低差の激しい曲を何度も歌って喉を枯らしたりしている。今までこの場所を含めて色々なところで嬉しい言葉をもらって、自分の言葉はこれでいいのだと思い込んでいたのかもしれないと気づいてから何も言えなくなってきてしまった。

人と会うのは楽しいのに、反動の疲れがひどくなった。前はなんで平気だったんだろうか。「人と会うことは好きだけど疲れてしまうことだ」とはっきりと自覚したからだろうか。言語問わず、自分の「わかってほしい」という思いが、実は全くわかってもらっていなかったのかもしれないとも気づいたからだろうか。

小さな頃に繰り返し読んだ動物図鑑で見た九官鳥のことを、ある日急に思い出した。大きなオウムとどっちが「ものまね」をできるのだろうか。環境的にどうしても難しいけど、今なぜか無性に飼ってみたい。九官鳥は、人が覚えて欲しいと教える言葉より、日常で何気なく使っている言葉を覚えてしまって困ったりもするそうだ。わたしのたくさんある口癖から九官鳥は何を覚えるだろうか。

もう何を話しても自分の言葉に力を込められない気がして、何をどうやって話せばいいのかわからない。だからカメラのシャッタースピードとか絞りとかを変な値にいじって変な画像を作って遊ぶ。もっとこういう遊びがわたしの言葉になったらいいのに。

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