見出し画像

駄々っ子

よく眠れるようになった。ただし眠るためには条件がある。その日その時、「やりたいこと」だけをやって疲れ果てるまでやりきること。

それは子どもに置き換えるとただの「駄々っ子」で、周囲の大人が勧めるものたちを、それじゃないそれじゃない!と自分で見つけるワガママな子どもと一緒だ。かわいいお人形さん遊びに没頭するときもあれば、外で虫を観察して遊ぶときもある。だからってファッションデザイナーになりたいわけでも、ヘアメイクアップアーティストになりたいわけでもない。ファーブル昆虫記を書きたいわけでもない。

そういった職業になるのだって大変なのに、もしできてしまったとしたら、他の人たちは「次はどんな服を作るの?」みたいに期待してくれるかもしれない。でもたぶんわたしはその頃にはもう違うことをやっている。だからそれで契約を結ぶみたいなこともできない。

「病気のせいにするな、とにかくやれ。米津玄師は登校拒否児だった、お前もやりぬけ。金がないのを言い訳にするな。とにかくやれ」「わたしにはできないです、あんなすごい人と一緒にしないでくださいよ。わたしはただなんでもやりたいけど何にもなれないだけの人ですよ」

「矛盾してる、こっちが何言っても聞かねえ」とある人に匙を投げられた。それを受けて他にも言われた。「あんたの頭の中は5歳児。本当の5歳児は6歳になって小学生になるけど、今35のあんたの頭の中が5歳児だったらただ人が離れていくだけだよw」

そうだね。だからわたしは子ども時代が抜け落ちた人生送ってきたってカウンセラーにも言われてるって言ってるじゃん、それ聞いてた?


今わたしができるのは、できるだけ「自分の欲しい刺激」以外の外的刺激を避け、過去を懐かしんで羨むのを辞め、泣きそうになりながらこんなテキストを書き、こんな気分に合う曲があれば、自分で作れればと思うだけ。


連休はカラオケに行って自分の動画を撮った。録音はずっとしていたけれど、動画の方が表情やふるまいと声が関連して見えやすいかもしれないかと思ったからだ。曲に合わせて自分なりにあれこれ動いたり歌い方を変えていたけれど、気になったのは自分のマイクを持ち替える頻度が多すぎること。フレーズの切れ目とかそういうわけでもなく、マイクを持ってない方の手も常に動いている。ほんのりと自覚はあったけれどここまでとは思わなかった。

「マイク 持ち替え」で検索したら、「マイクを3〜4回くらい持ち替えるだけで表現力がアップしますよ」みたいなブログがヒットしたけれど、自分の動画を見る限り1曲で数十回は持ち替えている。持たない方の手で自分をコントロールしないと歌えないし。

そんな動画も最近はInstagram(IGTV)にアップしているけれど、文章が書きたくなったら(文章じゃないと表せなかったら)ここに来ます。


心のどこかに引っ掛かったら、ぜひ100円のサポートからお願いします🙌