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絵を描くということ

小さい頃からずっと描いてきて、仕事にもしているのに、「自分にとって絵を描くということ」がどういうことなのか、いまだによくわからない。

もちろん楽しい時のほうが多いと思う。だけどしんどいときはしんどい。めちゃくちゃしんどい。
絵を描いていてよかったと思うことはたくさんある。でももっと描けたら苦しくないのではないか、と思うこともよくある。めちゃめちゃある。

データの整理をしていると、誰かに絵を褒めてもらった記録を見つけることがある。それに、知らないところで絵を見てもらっていて、お褒めにあずかっていることにずっとあとで気づくこともある。
描いている本人としては、可愛い子には旅をさせよではないけれども、超放任主義である。大事には思っているけれども、できるだけわたしの行けないところへ絵に見てきて欲しいと思う。(絵から連絡をもらえるとうれしいけれども、それは今のテクノロジーでは難しそう)

いまだに自分の絵のことはよくわからない。
ずっと細部の描き込みに苦手意識があったけれど、細部がすごいと言っていただくことがあってびっくりしたりする。
「最近、絵描いてないな〜」とノートやiPadを見返すと、落書きも含めて大量に残っている。もちろん意識がある状態で描いているのだけれど…

AIの台頭だけに限らず、わたしが絵を描かなくとも、描ける人は世の中にたくさんいる。わたしも誰かの絵を楽しませていただくことは多い。最初から今も「描かなければいけない」というエビデンスみたいなものなんて何もない。ただ「描きたい」と思ったり人に言ったりして、なんとか形にする。それを延々と続けているだけだ。でも、それが絵を描くということ、生活に組み入れることなのかもしれないと思う。

描けないときにいらいらしたり、自信をなくして落ち込んだりして、描きたくないと思うことは山のようにある。自分よりもっと創作意欲にあふれているように見える人たちをうらやましいと思いながら、それでもなんとか描いているということが、ただ確かなことなんだなと今更ながらに思う。

浅い飲み込みは早いのに、深く理解することがあいかわらずめちゃくちゃに遅い。これも、最近までいまいちピンときていなかった。

「絵を描くこと」という言い方をすると、つい絵のことばかりにフォーカスしてしまうけれど、描いている人間のこまかな変化は侮れないなと思う。この文章を書いたことも、どこかでまた絵にかすかに顕れるだろうか。

🐤メインのインスタ、抽象ちっくなアートおおめ

🐤やたら力がある落書き


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