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そんなんじゃなくて 戦う中年

僕が今よりもっともっと若かった頃、そう、あれは小学校3年生くらいだったかもしれない。
「自分は運動向いてないからいいや、もう運動をすることはないだろう」と心に決めたあの日。

あれから30年

幼き日の誓いは破られ、俺はやりたくもない運動をしている…。

「私たちは歳を取りすぎたね、ジョー(仮名)」。俺はコップを卓上に置くと、そう切り出した。
「マイクを見てみるがいい。週に1度の二郎系ラーメンのせいで、膝をやった」
「ジョージの奴は痛風だ」とジョーが応じる。
「血圧190のやつもいれば、糖尿の奴もいる」。陰鬱な表情でかぶりをふる俺に、店員が「お飲み物は?」と声をかける。
「あっ、水のおかわりを」…もう何年も酒は飲んでない。飲むとお腹を壊すからだ。
「運動しようぜ、ボビー」鍛えているジョーはこともなげに答え、ビールを傾ける。それしかないよ。
その精悍な横顔をしげしげと見つめながら、俺は重々しく言葉を紡ぐ。なあ、ジョー。
「どうして私たちは、働きたくもないのに会社に通い、運動したくもないのに運動しなければならないのだろうか?」問いかけながら答えはわかっている。生きるためだ。

…などと、心の底からどうでもいい駄文を書き連ねていますが、この通りであります。
この頃周囲に流行るもの。運動、タンパク、プロテイン。糖質制限、ロカボ飯。にわか筋トレ、ジム通い。
まあ、もう、40近くなると、(緩やかに)死ぬか、それとも運動か、を突きつけられるわけで、わたしもフィットボクシングとリングフィットアドベンチャーを細く長く、いやあまりに細すぎてしばらく切れたりするほどの頼りなさで、いみあんのかいという頻度でやってます。イヤイヤ。

基本的には食うことだけが楽しみの私なので、この事態は誠に遺憾でもあるのだが、流石に死にたくはない。最近マカロニえんぴつに浸ってるんだが、普通に生きてると、お願いするまでもなく僕の方が先に死ぬだろう。多分。


いい曲や。

ただ、この中年男子総プロテイン化現象を、その渦中に身を置きながら俯瞰してみると、結構面白いかもしれない。

僕には何もないよ

と歌ってるが、ほんとに何もないのは天駆ける今をときめく若人ではなく、我々中年男子だ。え?仕事も家庭もあるじゃないかって?いや、自由になるものはないのよ、案外。

我々に残された最後のインディペンデンス、約束の土地、ヴァルハラ、それが己が身だ。

先の見えない時代、正解がない時代、努力が必ずしも報われない世界、そんな中で、腹の脂肪だけは、俺たちの努力にまっすぐ応えてくれる。ネット社会に、身体感覚を、現実感を取り戻せ。リアルを取り戻すんだ、この手に。確かなものはここにある。ここは人生の正午。ああ後は下っていくだけなのか。せめて、真っ逆さまに落ちるのではなく、少しでも緩やかに、戦って、抗って。

「…そういうことなんだろう、ジョー?」
「そんなんじゃねえよ!ごたく言ってないで走れ!」

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