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【読んだ】山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』

『アンタゴニズムス』で一番面白かった、「嫉妬」という情念を通した政治論。『アンタゴニズムス』では「民主主義」というテーマが先にあり、民主主義の根源がいかに雑多で不純で不合理なもの(=〈公的ではないもの〉)に規定されているかを示すひとつの題材として嫉妬という情念が論じられていたのに対し、本書では終始嫉妬感情の性質や面倒くささから論を組み立てていて、これもとても面白かった。

通底しているのは「嫉妬感情の遍在性」(P194)であり、「嫉妬心が消えないという前提」(P236)かと。政治体制や経済状況をいかに変革しようとも人類は嫉妬感情から逃れられないのであり、特に最初のふたつの章では、古くから人類がいかに嫉妬という感情に振り回され、恐怖し、それを飼い慣らそうとしてきたのかが示されていた様に思う。

しかし、殊に政治学において、嫉妬の問題は扱いにくい。理由はふたつで、ひとつには、政治学の性質上、嫉妬という情念を捉えられない事である。社会科学においては合理的な主体が想定されているのに対し、嫉妬という情念は不合理で、むしろすがすがしいまでの自暴自棄さ(P41)をもたらすものであり、政治学においてうまく理論化ができなかった。もうひとつには、嫉妬という私秘的な情念は基本的に隠されているという事である。基本的に自分の嫉妬心を認める事は不愉快な事であり、むしろそれは恐怖すら伴う(P72)。したがって嫉妬心は別の感情で偽装される事が多く、その政治的な意味合いについて理解されてこなかった。

この嫉妬の存在に気付いていたのが、実はロールズだと。ロールズの正義論においては、嫉妬の情念は解決しなければならない問題だった。なぜなら嫉妬は、正義で偽装した私情を公共性のフィールドに持ち込む可能性があるからだ。有名な「原初状態」の議論でも、「原初状態に置かれた個人は他人への嫉妬感情に惑わされることはなく、正義の原理を選択できる」とされているから(P172)、嫉妬感情の存在は彼の構想の根本を脱臼させてしまいかねない。

ロールズは『正義論』の後半で「妬みの問題」「妬みと平等」というふたつの節を割いて、嫉妬の問題の解決を試みた。しかし、結局それは失敗したと著者は指摘する。ロールズは、嫉妬感情の存在を認めた上でそれを無害化しようとしたが、結局嫉妬という情念の本質やそのタチの悪さを掴み損なっていたのではないかと。

しかしそれよりもクリティカルな問題は、ロールズが志向する「格差の減少」が、むしろ嫉妬感情を加速させてしまう、という逆説だったように思う。これは「平等性」の問題として本書を一貫していたのだけど、アリストテレスの古から「嫉妬の感情は比較可能な者同士のあいだで生じる」のであり(P44)、したがって「格差が狭まれば狭まるほど、相手の存在が手の届くほどに近づけば近づくほど、彼/彼女との埋まりきらない差異がますます耐えがたいものとして現れる」(P183)。

それが、本書のもうひとつのテーマである「民主主義」につながる。トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』の中で「デモクラシーとその平等の理念は、人々のあいだに嫉妬心をかき立てる」事を指摘したのであり(P218)、宇野重規はそれを、民主化がもたらした「想像力」によるものだとする。詰まるところ、嫉妬は確かにタチが悪い概念には違いないのだけど、それは民主主義にとって不可避なものでもあり、むしろその構成要素なのだ。

「つまり、嫉妬は平等と差異の絶妙なバランスのうえに成立する感情なのである。そしてほかならぬ平等と差異こそ、私たちの民主主義に不可欠な構成要素であるとすれば、嫉妬が民主的な社会において不可避であることが理解できる。/ひっくり返して言えば、嫉妬のない社会とは、人々のあいだに差異のない完全に同質的な社会であるか、絶対的な差異のもとでいっさいの比較を許さない前近代的な社会であるかのいずれかであろう。そうすると、嫉妬は私たちのデモクラシーの条件かつ帰結ということになる。それゆえ、嫉妬を民主社会から切り離せばよいという単純な話にはならないのだ。」

『嫉妬論』P220

著者は、トランプ的なポピュリズムを許してしまった要因は、リベラル派がこの嫉妬の情念に向き合えてこなかった事にあるのではないか、とその潔白的な態度を批判している(逆に言えば、ポピュリストたちが強いのはこの手の情念を活用するのに長けているからだろう)。また、ポスト資本主義の議論や、コモンズの共同管理に代表されるような近年のコミュニズムの構想においても、現代左派が嫉妬の情念と向き合う必要がある事を指摘する(P197-198)。本書はその具体的な検討にはあまり踏み込んでいないけれども、おそらくそれはそれこそ『アンタゴニズムス』の主題であり、例えばラディカル・デモクラシー論での精神分析をめぐる繊細な検討や、身体の情動や身体の複数性、群集やポピュリズム等々の検討を通じて行われている事なのではないかと思う。それはそれとしてきちんと読み直したいと思ったのだけど、この本はどちらかというと「嫉妬」という概念そのもののタチの悪さ、ひいては人間のしょうもなさを(おそらくは愛情と共に)終始描き出しいて、読み物としてシンプルにとても面白かった。