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【稽古場の片隅から、希望を描く】その3

かわいいコンビニ店員飯田さん新作公演『空腹』の稽古場レポートとしてお送りする本稿『稽古場の片隅から、希望を描く』、稽古最終日のレポートをお送りします!

『どん底』という演劇がある

働け? なんのために? 胃の腑をいっぺえにするためにか?
おれはな、腹いっぺえ食うことばかりにあくせくしていやがる人間は、いつも軽蔑しているんだ。大切なそんなことじゃねえやい、なあ男爵!
そんなこたなんでもねえんだ! 人間はもっと上のものなんだ!
人間はふくれた胃袋なんかよりずっと高尚なものなんだ!

『どん底』より 訳:中村白葉
岩波文庫『どん底』

冒頭に引用したのは、マクシム・ゴーリキー作『どん底』より、詐欺師のサーチンという役のセリフ。
なぜ引用したかと言えば、この『どん底』という演劇史に残る名作が、今回の作品『空腹』と相似形を成しているからだ。この『どん底』を通して『空腹』を見返すことで、作品への期待がより高まると思う。

仕事が楽しみなら人生は極楽。
だが義務ってんなら、人生は地獄だぜ。

『どん底』より

さて、改めて『どん底』の魅力について説明したい。
誤解を恐れず端的に言えば、その魅力は観客に刺さるセリフ(パンチライン)の多さにあると思っている。
マクシム・ゴーリキーはロシアの作家であり、活躍した時代的には『かもめ』や『ワーニャ伯父さん』などの著作を残した偉大な作家・チェーホフの後継に当たる。創作における人物造形についてはチェーホフの影響を強く受けており、『どん底』についてもその例に漏れない。
数あるゴーリキーの著作の中でもこの『どん底』は演劇史に燦然と輝く作品だ。

舞台はロシアの木賃宿。時代はロシア革命前夜であり、国民は皆経済的に逼迫している。宿の管理人は、貧困にあえぐ住人たちを住まわせているものの、その環境は劣悪で、宿とは名ばかりの床と壁だけの空間に閉じ込めている。
それでも住人たちは生きている。働き、時には盗み、つらくなれば酒を飲み、歌う。生きていくために。

明確な筋はないが、貧しい暮らしを呪いながらも、無気力な日々を送人たちの生活が、克明に描かれているのだ。

そして、『どん底』の中でも一際有名なのが、冒頭で引用したセリフである。
クライマックスで叫ばれるこの「人間」についてのモノローグは、生きることは何か、ということについて思いを馳せざるを得ない。
生きることは、ただ空腹を満たすことではない。
それ以上の行為や存在そのものに人間が人間である所以がある。

このセリフには、時を超えても色褪せない魅力がある。

いいか、人間ってのは、自由なんだぜ
人間は自由
人間……これこそが真実なんだよ!

『どん底』より

『どん底』を読んでいると、現代に生きるわたしたちの生活に思いを馳せざるを得ない。まるでゴーリキーが未来を予測していたかのように、セリフの一つ一つが現代に生きるわたしの状況に照らし合わされ、心臓に刺さってくるのだ。

そしてそれは、『空腹』の最終稽古の最終通しを見ているいまのわたしに襲いかかってくる。まるで現代と過去が透かし絵のように二重になって、目の前で繰り広げられているように見えてくるのである。

『空腹』、あるいは人生への中毒。

「21万だろ、21万で人生変わんのか」

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「家賃を上げたくて」

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「今本当に余裕があるのであれば、弱い立場の人から搾取するようなことはしないであげてほしいんです」

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「本当に我慢してますか。節約してますか」

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「自制が効かずに欲に負けているから、苦しい生活をしているんじゃないですか」

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「あぁ、なんか幸せ! 幸せ! こんな日が、毎日続けばいいなぁー!

公演動画より

ただ穏やかな暮らしがしたいと思う。
そのためには働かなければならない。
しかし、働いているうちに、何のために生きているのかわからなくなってくる。
だから、生きることは中毒に近い。
皆、生きることに依存して、だらだらと無目的に生きながらえてしまう。
たとえそれが、カーテンのない2段ベッドの下段で送る、プライベートの失われた共同生活であっても。
わたしたちはただ生き、時に歌い、酒を飲み交わし、怒りを偽りの笑い皺の中に隠しながら、日々自分を騙し騙し生きている。

食べ、寝て、働く。また食べて、寝て、働く。
それでも僕らは生きている。毎日毎日生きている。

かわいいコンビニ店員飯田さん 公式Xより

さあ、本番まで残り1日となった。
これらの言葉の弾丸が、下北沢の街に、そして都知事選を終えた直後の東京にどう放たれてゆくのか。その言葉に撃たれた人たちが、どんな声を発するのか。

ひとりの演劇を信じる人間として、わたしはとても楽しみにしている。

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