『ガザモノローグ2010』その24

24.マフムド・エル・トゥルクさん 1994年生まれ アル・ジャラア通り

戦争の前までは、僕は子どもだった……。でも戦争が終わって、自分がもう子どもじゃないことに気づいた。世界中のどんな街とも違って、ガザには子どもがいない。

戦争が始まった時、近所で遊んでいたら近くの人たちが一斉に逃げ出し始めた。何が起こってるの?って聞いたら、「イスラエル軍がこのあたりの家を爆撃するらしい」と言われた。走って家に帰って、それをお父さんとお母さんに伝えたよ。そうしたら、1分もしないうちに家から逃げることになった。僕らはガスコンロだけを持って、それ以外のものは置いていった。ガスコンロはガザでは金よりも高価だからね。

その時、もうこの家には帰らないって思ったんだ。
僕らはおじいちゃんの家に行った。次の日、イスラエルのインテリがおじいちゃんの家に電話をかけて、爆撃することを伝えた。僕らは逃げて、別のおじいちゃん家に逃げた。そこにはもう違う家族が5つもいた。みんな僕のおばさんたちだ。いとこと僕は友達になって、夜遅くまで起きて戦争について話した。僕は疲れていたし、怖かったし、家に帰って自分のふとんと枕で寝たいと思った。

三日後、隣の家が爆撃された。その後で、近隣の家の人たちが一斉に自分たちの家に帰り始めた。そして、僕は自分の部屋に帰ったんだ……。でも一睡もできなかった。

僕はずっと、旅行をしたいと思っている。カナダにおじさんがいるんだけど、僕にいつもカナダの公園や海や、お店にいる家族のビデオテープを送ってくるんだ。その背景にカナダ人の女の子が写ってる……こういうのが欲しいんだろ? と言わんばかりに。僕をからかってるのか!? カナダでの生活を昼も夜も夢見てる。だから僕は演じることが好きなんだ。いずれ上手くなって俳優になって、カナダに旅行に行くんだ! そしてカナダ人になって、カナダ人と結婚して、カナダ人の子どもを育てるんだ。カナダって何語をしゃべるの?? まあいいや、カナダ語を学べばいいんだ。なんにせよ僕は気にしない。僕がカナダにいるアラブ人だって誰も気づかないだろうね。なんたって僕は金髪で青い目をしてるから。

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