見出し画像

「オンライン」で「演劇」をするために、いま考えていること。

オンライン演劇の可能性

 この前、初めてzoomを使って演劇のリーディグをした。いままでテレビ会議などの経験がなかったため「どうせ映像だし、だいぶ制限があるだろう」と高を括っていたけれど、その考えは覆された。相手の顔が表示されるだけで、こんなにも発話する自分の身体感覚に影響が出るのか、と感じ、そのコミュニケーションの生々しさに驚いた。

 緊張して声が上ずる、相手の視線を感じ、目を逸らすといった反応・リアクションが自然と体から出てくる。話す相手によって、自分の声が変わったり、猫背になったり、背筋が伸びたりする。こんな風にして普通に生々しいコミュニケーションが取れることに、演劇ができる可能性を感じる。いわば、ちゃんとそこに話したい相手がいて、その相手と「見る、見られる」という関係の緊張感があって、ちゃんと話してる実感が生まれるのである。

 (また、半分余談だが、背景が変えられるのもすごく楽しい。選ぶ背景によって、相手の反応や、全体の雰囲気をパッと変えられるのは、現実ではなかなか難しいことである。それが簡単にできるのは、単純に楽しい。)

オンライン演劇の難しさ

 だけど同時に、これをお客さんに見せるのは難しいだろうな、とも思う。オンライン演劇だと、俳優とお客さんとの間に「見る、見られる」関係を作り、維持するのが難しいのだ。

 演劇は、舞台上のみで完結するわけではない。それをみている観客がいて、初めてその間に立ち上がるものである。つまり、舞台上にいる俳優と観客との間に、「見る、見られる」という関係性があり、双方の視線がぶつかり合う場所においてしか、演劇というのは生まれないのである。

 しかし、いま巷で行われている「オンライン演劇」の大部分において、そのような視線のぶつかり合いはあるだろうか。お客さんが顔を出して鑑賞することはまずない。そのため、俳優がお客さんから「見られている」と感じるのも難しいし、当然お客さんの方も、自分が俳優を「見ている」(影響を与えている)とは感じづらいだろう。すなわち、ここで起こっているのは視線のぶつかり合いではなく、すれ違いである、と言える。

 だったら、観客に顔出しをお願いすればいいのか? というと、確かにそれが一番手っ取り早いのだが、そう簡単にはうまくいかないと思う。第一、自分の顔と名前がネットにさらされることに抵抗感がある。zoomだったら、パスワードを設けるとか、そういう情報の機密性が担保できれば多少は抵抗感が減るかもしれないけど、それだと、オンライン演劇のメリットである「気軽さ」が失われてしまう。

 まとめると「オンライン演劇」が「演劇」であるためには、次の問題をクリアしなきゃならないのではないかと考える。

「劇場における舞台−客席の間にあるような、俳優と観客の間に生じる関係性を、オンライン上で作り、維持するにはどうしたらよいか。」

 僕は、俳優とお客さんが、劇場空間でお互いに影響し合うことが演劇の醍醐味だと思っている。その要素をまず担保しなければ、それは「演劇っぽい何か」にしかならないんじゃないかとさえ感じている。

 じゃあ、どうすればよいのか?

解決策①

ニコニコ生放送のように、観客がリアルタイムで反応できるようにし、俳優も演じながら、それに即時に反応できるようにする。

 zoomでやるのは制約があるかもしれないが、観客の反応が、同時に画面に出るような仕組みを作れば、擬似的な舞台−客席関係が作れるのではないかと思う。
 ただ、俳優にはスキルが求められる。要は、舞台上における観客の生々しい反応が、そのまま活字に置き換わるわけだから、それに敏感に反応していかなければ、インタラクティブにはならない。以前オフィスマウンテンの山縣太一さんが、何かのインタビューで「字幕と踊る」という言葉を使っていたが、俳優は画面上に流れる活字を、自分の身体に通して、反応するスキルが求められるかもしれない。
 要は、観客側が自分の存在を「文字」に仮託させ、舞台上に存在させ、俳優は、そうして画面上に浮かび上がってきた「文字」とインタラクトする。そうすれば、お互いにぶつかり合う場と時が生まれ、演劇が成立する、と思う。

解決策②

「観客の分身」を用意する。

 俳優とお客さんの間に関係性を作る、というのはお客さんに俳優と同じ土俵に乗ってもらう、と言い換えられるかもしれない。俳優と同じ時間を過ごしている、同じ空間にいる、と感じてもらうためには、お客さん自身に参加してもらう必要がある。「参加している」と言う実感をもってもらう、というべきか。劇場があれば、それは「劇場に行く」と言う行為がすなわち演劇に参加するということになるのだが、オンラインではそれがそもそも不可能だ。
 だったら、観客の分身となるものを舞台上に用意しようという考えだ。

 コロナ状況下で様々な演劇が模索されているが、僕が感じた中では、これが一番演劇の感覚に近いと思った。この方法なら、お客さんは自分がその場にいなくても、自分が置いたものと俳優が関係し合うのを見ることによって、参加の実感を得ることができるんじゃないだろうか。

まとまらないまとめ

 解決策を2つ上げてみたが、もうブレインストーミング的に色々な案を模索したい。今はあーだこーだ言うよりも、とりあえず案をあげてみて、実践してみる段階だと思う。思いついたことは何でもやってみたい。自分の中の演劇の火を絶やさないために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?