「ガザ・モノローグ2010」その9

9.ターメル・ナージェムさん 1993年生まれ アッシュシェイカーラドワン

ガザはマッチ箱。僕らはその中のマッチ。

ガザで戦争が始まったとき、たくさんのメディアが僕たちに注目した。アルジャジーラとかアルアラビアみたいな衛星放送はもれなく、そのカメラをガザに向けた。占領は僕たちを一人にしてくれない。ガザで何が起こっているかに全世界が注目し、慌ただしかった。その時、急にアルジャジーラが速報を出した。「モハメド・アル・ヒンディ死亡……」それは只事じゃなかった。モハメドは僕の叔父、母さんの兄弟だったから。生まれて初めて、テレビの生中継を見ながら叫び声がでた。叫び、慟哭、涙、それらが全て混ざり合い、家から外の通りまで突き抜け、母さんは卒倒した。しばらくして電話がかかってきて、2番目の叔父から、モハメドが殉教したことを伝えられた。その叔父は、全世界にそのニュースが報じられたことを知らなかった。……テレビというものは残酷だ。誰かが銃で撃たれた時、弾丸がその胸を貫いている時にはもう、テレビはそのニュースを流しているんだから。

でもここ最近、すべてのチャンネルは動かないまま、ガザに次の戦争を送り込むため、神に祈っている。それが仕事なんだ!

ともかく、僕らは激しく泣いて、叔父さんを思い出し、叔父さんについての話をした。そうして長い間話し続けた。やがて、ガザで死というものが日常になっていって、叔父さんの話は聞かなくなった。

戦争の後、僕は自分の生き死にについて気にするのをやめた。戦争で何が起きたかを見たから、何に対しても気に留めなくなった。生きているこの日々はご褒美だ。戦争後に続いてるこの命は延長戦だ。だって僕はあの時、いつ死んだっておかしくなかったんだから。

あのね、僕はこの街を愛しているけど、うんざりもしてるんだよ。この街の人々に対してもそう。時々、ガザに住んでる150万の人と知り合いだと感じる。何も新しいことは無い。同じ日が繰り返されている。場所と顔を変えながら、旅をするような感じ。毎朝起きるとすぐ、顔の近くの電柱が目に入る。いつかその電柱を見ずに目を覚ましてみたいよ……。アブー・イブラヒムは毎日スーパーの入り口に立ち、豆売りのアベドは豆を売り、アブー・エル・アベドは自分の家の玄関の前に座っている。……自分の家が逃げないか心配なんだね。イブラヒムはハッサンと一緒に立っている。僕はタクシー運転手の顔を一人ひとり知っていて、誰が街に行くか、誰が海辺に行くかがわかる。……このままじゃ魂が吸われていくよ!

僕の人生で唯一ほかの時間と違うのは、演劇の練習に来る時だ。それは仕事であり、使命であり、いつも待ち遠しいもの。……劇場がなかったら、僕はとっくに狂っていたと思う。むかしは、偉大な俳優になりたかった。子どもの頃から、演じるのが好きだった……。その時通ってたところは2、3日したら追い出されてたけど、今回は違うんだ。

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