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続・次の一万年を生きる人々のために 3-2 堤防に破壊された歴史遺産

歴史を刻む地層
 沼尻は、津波によって表土が深く削られたことから、かつての沼地だけではなく、津波の歴史をきざむ貴重な地層も現れました。
 この地層を北海道大学の平川一臣教授(自然地理学)が調査に訪れ、この地層は「縄文時代にさかのぼる過去六千年間の巨大津波の歴史が一度に分かる地層」であることを明らかにしたのです。
 平川教授によると、津波で運ばれて堆積した砂や石の層が六層あり、層の間隔や堆積物に含まれる土器片の様式などから、上から順に慶長三陸地震(一六一一年)、貞観地震(八六九年)、約二〇〇〇年前、約三〇〇〇年前、約四〇〇〇年前、五〇〇〇~六〇〇〇年前の津波の可能性が高いというのです(写真)。
 崖は高さ約三メートルで、明治三陸津波や昭和三陸津波のような中小規模の津波では、これを乗り越えて遡上し、堆積物を残すことがなかったことから、巨大津波の痕跡と考えるのが妥当と平川教授は解釈しています。

貴重な歴史遺産
 この地層の最下層の直上には約五四〇〇年前の十和田噴火とみられる火山灰があります。また、上から三番目の層で見つかった土器片には縄文模様があることから、この層が弥生後期から紀元前後(約二〇〇〇年前)であることもわかったのです。
 偶然にも、平川教授の調査に東北歴史博物館の相原淳一さんが同行されていました。相原さんは、前回の「次の一万年を生きる人々のために」で紹介した縄文時代の前浜貝塚から出土した人骨を再鑑定した研究者です 
 相原さんはこの時の調査のデータを平川教授から譲られており、送っていただくことができました。そのデータと相原さんのお話から、この地層と出土品は後世に残すべき貴重な歴史遺産であることがわかりました。

歴史遺産はなぜ残せなかったのか
 この時の調査には相原さんの他に市教委の職員も参加していたそうです。この職員も沼尻の地層と出土品の貴重さを理解していたはずであり、保存のために何らかの対策をとるものと相原さんは思っていたそうです。
 震災から五年が経ち、各地にジオパークが設立されていたこともあって、沼尻の地層もジオパークとして残したいと思いました。二〇一六年六月に、いわて三陸ジオパーク推進協議会と東北大学の地質研究家に呼びかけて調査を行いました。この時に火山灰の地層の標本も採っています(写真)。この時の調査にも市教委の職員は参加しています。

 この沼尻に堤防工事が計画されて、県による住民説明会が開かれていました。工事が始まれば、これら貴重な歴史遺産を残すことができなくなります。文化財保護法では、こうした埋蔵文化財が発見された時には、発掘調査が終わるまでは土木工事ができないことが定められています。
 そこで、市教委の職員に発掘調査と堤防工事の中止要請を求めました。ところが、この職員は県と相談しなければならないと言葉を濁すばかりで動こうとしなかったのです。教育委員会の複数の上司を通じて、この職員に対策に応じるよう求めたのですが、返答すらない。これには呆れました。 
 一方、県は住民説明会を開き、参加した住民が五人だけであったにもかかわらず、住民の同意は得られたとして工事の開始を決定したのです。 沼尻の歴史資産は、こうして文化財を保護すべき市教委職員の不作為と少数の住民の同意だけで破壊されてしまったのです。 

(『三陸新報』2022年4月17日掲載)


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