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子供が先生シリーズ・教育とは何か。大人への教育と子供への教育/食とまなびのブログ

冬の細い光の中、笑い合いながら走っているスーツ姿の男女がいた。

素敵で輝いて見えた。

さて、なぜ私はそれをポジティブな印象で受け止めたのだろうか。

考えた。

若さか?
いや、老人でもポジティブだろう。

スーツか?
いや関係ない。

男女か?
いや、同性同士でもポジティブだろう。

笑顔か?
いや、笑顔でも歩いていたら、そこまで素敵には感じなかっただろう。
笑い方にもよるが、歩いていた場合、不快感を感じる場合もあるかもしれない。

だとすると、走るという行為か!
うーん、面白い。
走るという行為が持つ印象。
エネルギー、前進、若さ。

大人になると、走るということは、非日常であり、イレギュラーなことを意味するのかもしれない。
子供は何かって言うと走り出す。
意味もなく走っている。
走るだけで楽しいのだろう。

やはり、子供が先生なのだろうな。
本当に子供から学ぶことは多い。
子供は幼ければ幼いほど、個として人の完成形なのだろうと思う。

子供が成長するにつれ、社会性を身に付けていく。
言い換えると、人から“人の間”と書いた人間となっていく。
その中で、個の人としての大事な部分がへしゃげていってしまうのだろう。

そこをどう両立していくか?
それが子供への教育のポイントなのかもしれない。

逆に、社会性をバッチリと身に付けた大人への教育は、
へしゃげてしまった個の部分、
自身にも既に分からなくなってしまった個の部分を
もう一度取り戻すことなのかもしれない。

いや、それは間違いなく教育の一端としてあるはずだ。

感謝します。

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