見出し画像

超高齢化社会を幸せ社会にするために①/食とまなびのブログ

娘が母の肩を揉んだ。
母「あー、長生きしててよかったー!孫に肩を揉んでもらうなんて幸せだわぁ」

母がなにげなく発した「長生きしててよかったー」という言葉。
この言葉に驚いた。
母は自分が長生きしていると思っているのだ。
まだ70歳。もっともっと生きていてくれると私は思い込んでいたが。

父が亡くなったのは一昨年。
住宅ローンも終わり、母は仕事を辞めた。
人生百年時代とも言われるご時世で、まだ70歳の母が長生きしてるとは言い難い。
しかし、母は、既に長生きしていると思っていたのだということ。

驚いた。
言い換えると、『もう死んでもいい』と思っているのかもしれないからだ。


これから日本が確実に迎える超高齢化社会が、悪いことではなく、幸せなこと、幸せな社会にしていくために、大切なことはたくさんあるかもしれないが。

一人一人の『居場所』と『出番』があるということが非常に重要だと考える。
特に、仕事を引退した高齢者にとって、これは最重要項目の1つだと思う。

もちろん、高齢者と一括りには出来ない。
居場所と出番は一様ではないので、どうしても個人に任せがちにはなる。
私も個人個人が自分の居場所と出番くらい勝手に作るべきだとも考えるし、私自身はそうするつもりである。

しかし、別の一面があってもよいかもしれないとも思う。
おせっかいと言われようが、社会のシステムとして、そういった居場所と出番を作ることが重要なのではないだろうか。

例えばである。
地域の年寄りが子供を預かる地域社会の仕組みを作る。
金銭のやり取りは発生させない方がいい。
金銭を絡めると責任問題が出てくるし、そもそも年寄りはお金を求めていないからだ。それがこの仕組みの根本だから。

預ける側の若い男女からしてみれば、経験豊かで穏やかで心の広い、そして出来れば知っている近所の高齢者に自分の子供を預けることは、若くて未婚の知らないベビーシッターに預けるよりもはるかに安心できる。
すると、夫婦の共働きが可能となる。
労働人口の確保につながり、家計は潤い、預かる年寄りの方は楽しく、生きがいや充実感を作り出すことが出来る。

もちろん、これは1つの側面であり、例えばの話。

収益化させると責任問題が出てくるので、企業がやるのは難しいだろう。
となると、行政が関与して作るのはどうだろう。
それでもやはり、責任問題などが出てくるのだろうか。
となると、NPOなどになってくるのだろうか。


ちょっと話は変わるが、そもそもこういった考えに至る根本的な思いがある。
昔からよく考えていた。
人間が死ぬと、その人の生きてきた時間の中で蓄積してきた知識やノウハウなどが無くなってしまうのがなんとももったいないと。
それをキチンと受け継いでブラッシュアップを重ねていくことが出来ていたならば、人間の進化、人間社会の進化は今の数十倍、数千倍になっていたのではないか。戦争や争いごとはとうに無くなっていたのではないか。

もちろん、大変大きな功績を残した偉人や学者、技術者などの人達は、受け継ぐ人がいたり、集大成としての本を書いたりして残していくのだと思うが、大きな功績の無いような、いわゆる一般人の方々であっても、その人なりの人生を歩み、その人なりの気づきや学びを積み重ねた数十年だったはずで、それを収集して積み重ねた中で、次の世代につなぐことが出来たら。

そしてまた、人は本来話したがりではあるものの、公の場で多くの人の前で話をするのは嫌うもの。特に一般人の高齢者に自分の人生を語ってくれとお願いしたところで、断られるのが関の山。そして実際に語ってもらったとしても要点を得ないことは間違いない。

だからやっぱり、受け継いでいくその瞬間は日常にあるべきものだろうと考える。
しかし、昔ながらの3世代家庭を作るべきだ!と唱えたところで難しい。

といった考えが根底にあって、悶々としていたのが前提にある。


まずは、自宅を開放してご近所からやってみようか。
勇気と行動力が出せるか。
そこにこそ、私が仕事を引退したときの居場所と出番になるのか。


感謝します。

お読みいただきありがとうございます。 気に入っていただけたら、スキやレターポット(下記)でご一報下さいませ。 レターポット:https://letterpot.otogimachi.jp/users/5033