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叔父とか叔母とかいう親類って、自分にとって何だろう

 私は、幼少の頃、あまり可愛くなかったのだろう。孫たちを見て、はて自分は?と思うことがある。いま孫は二人、娘夫婦のその親・兄弟、親類から、とても可愛がられている。残念ながら、いとことかは少ない。未婚が多い、そのうち、という雰囲気は少ない。期待せず、愉しみにはしている。

 私の場合、ざっと15人はいた。おとなしい、無口、愛想も少なく、勉強もできない、当然、人気がない、ぼろくそに言われて育った。父親もおとなしい人だったせいもある。何を言われても、反撃しない人、逃げている人。

こんな人に、戦争帰りの多い、そういう雰囲気の中では、かばってくる親類は少なかった。2,3人はいた。そういう親類には、心から慕った。

 慕った人も、そうでない人も、ほとんど死んでしまった。もう数十年、お互い自分のことが忙しくて、構う暇もなかった。

 今年3月母が亡くなって、コロナのせいもあって、葬式には、ほんとに親しい人だけが参列してくれた。あるいは全国に散らばって、質素なほんおうに家族葬だった。母の兄弟6人のうち弟一人残っている。もう80歳なかば。いとこも6人、父方もあわせて。

 死んでいないからいうのではない。生きていても、まったく頼りにしなかった。そんな存在だった。故郷を出て自立したから、そうなったのか、そうでないと思う。

 幼いころから、おおせいこうせい、責任や支援もせんくせに、えらそうに無責任な敵対行為ばかり、足を引っ張ることばかり。年長の従兄弟と話して、本音が同じだったことにきづいた。もっと早くきづいておれば、もっとまともな付き合いができたのにと後悔している。

 人間関係は難しい。永年勤めた組織も、退職してしまえば、冷たい関係。頼りにはできない。昔の上司、同僚、部下も、特に個人的に親しいわずかな人を除けば、会いたくもないことが多い。いいこと、愉しいことより、嫌なことが先に思いだす。

 あと残り少ない人生だが、先を見つめて、明るく生きたいと思うこのごろです。

 大阪のクリニックの犯人、加害者を見て、つくづくそう思うばかりです。

 基本的に、人間は冷たい。そこをなんとか温かく生きるか。それが、問題です。難しいけど。大勢の中でいい子になろうとすれば、自分を殺さざるをえない。それでは、自分は死ぬ。死んではいけない。

 難しいことです。

 私だけじゃないと思います。なぜもっと明るい人間関係ができないのでしょうか。見栄や自慢、金や地位や、そんなものは、なんの意味もないのに。

 暗いニュース、胸ふさがる思いです。

 元気を出しましょう。もうすぐ正月、今日はクリスマス。

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