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センチメンタル・ジャーニー姫路

 姫路に3年住んだ。姫路城の西、岩端町という城下町、住宅街である。江戸時代には、商家や職人が住んでいたであろう地域の雰囲気がある。
 娘4人、上から3人まで、城西小学校、そのものずばりの名称であった。

 あった。大阪の最も大きな小学校、生徒数いちばんの友渕小学校から、一学年2クラスの小学校へ3人、転校。バリバリの関西弁から播州弁へ。それなりの変化はあったらしい。特に、いじめは感じなかったようだ。
 大阪に比べると、人数が少ないためか競争は前面に出ない。
 運動会、大阪では都島区、堺市とも、早朝から保護者席の陣取り競争に行くのが習い。午前6時ごろ開門、猛ダッシュ!すこしでもいい席を確保するのが父親の務め。堺市での幼稚園の運動会から、そう思い込んで8年大阪の運動会だった。
 姫路では、「何、それ?」
 やはり生徒数が少ないのか、父兄参加の行事も多い。観客の中から、若いお母さんを指名して、背負って走る競技もあった。それなりに面白い、愉しかった。
 姫路城を天守閣の周囲をぐるっと一周、これまた懐かしい。職員宿舎から、朝のジョギンクで、あの頃は元気でタフだった。まだ、40歳直前。
もう、いまは走り続けることすら難しい。

姫路城の東下、確か、この上が、怪談番町皿屋敷の井戸だった。

 姫路城の北側は、広い緑地公園
 私は、ここを毎朝ジョギングで走っていた。
 今日の目的は、姫路文学館。山田風太郎という小説家の展覧会見学
 大衆小説家、個人的には、高校生時代であったか、朝日新聞に連載された「あと千回の晩飯」という名の随筆、面白かった。
数年前、買って読んだ「人間臨終図鑑」、読み終えて奥様に献上したら、大受け。新聞で、山田風太郎展が姫路で開催されていることを知り、コロナ禍にもかかわらず、一緒に参加した。
 姫路の街も、懐かしい。30年経てば、いろいろ変わる、姫路城も改修が施され、綺麗になったとは聞いた。
 姫路城は、何十回!も行ったので、特に、中に入ろうとは思はなかった。
 ぐるっと一周の後、お城の西側の姫路文学館へ、かって知ったる街中を歩いた。あの頃、お世話になった方々、ご存命でも、90歳を過ぎておられることだろう、すこし残念。
 少し暑い中、思い出にふけりながら散策した。
 その3年のちょっとした足跡

 姫路城西側を流れる安尾川沿いにある歳徳神社、道路拡張のため移設となった際、寄付した。その証拠に、銅板が残っていた。やはり嬉しい。
いろいろなところで、いろいろお世話になりました。
皆さまのお蔭です。人生を愉しめたのは。
みんな元気かな、もうみんなリタイアしています。

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