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ひきこもり経験を想う

 私は、3年ほど引き籠りをした。ほんとうに、深く反省と後悔をしている。もともと文系、歴史や地理、文学が好きで、学校での成績もそれに応じて、ある意味、他を圧倒するものもあったのに、性格的、社会的ニーズから親や親類から工業高校を勧められ、まだこどもでもあったことから、親の言うまま、高校へ進学した。

 最初は苦労した、不器用で実習にもなかなかついていけない。数学。物理も関心や興味がない。都市部では、試験成績低くても入れる学校も、農村部からの入学者は、能力的に高く、意識面も結構、レベルは高かった。半年ほどは、付いていくのにのに難渋した。

 しかし、要領が板についてくると、勉強の方法、学科も様々、得意・苦手もそれなりに活きる道のあることなど、それなりにわかってくる。

 加えて、工業高校、男ばかり、不要な?気になる存在、女子が少ない、極めて。私の所属した電気科は一人もいない。寂しい反面、まったくこころが落ち着く。男は好きなことのし放題、勉強する者はする、しない者はしない、留年・落第もある。総じて勉強しないから、そこそこの成績は可能である。当時は、就職も、それ相応の状態ではあった。県外に出ようと、県内に残ろうと、世間体は維持できる。

 しかしながら、進学を選んだ。元々の文系、そこへ高校時代に憶えた趣味は、読書、音楽、映画であった。それは、就職して仕事を学び、一人前になったら、嫁さん貰ってといった人生コースから広い広い何にもわからない世界へ出ることを意味して、それを選択した。

 受験勉強の結果、一般的に知られる大学へは入学できたものの、まだくすぶり残る学園紛争、独り暮らし、大学生活への不信感などからさっさと中退してしまった。再受験とか考えているうちに、数年が過ぎ去った。 

 それが私の引きこもりである。

 いまの私に、それが何になっているのか。多くある、ほとんど暗い過去である。どうしようもない。一つひとつ数えきれば、多くのものがある。引きこもりの人たち、みんなそうだろう。

 当時、読んだ本で、立命館大学学長末川博さん、小説でヘルマン・ヘッセ『車輪の下』、石川達三『青春の蹉跌』などなど、いろいろ読んだ。

 結局は、社会復帰しかない。自分の意思で、社会へ出た。いまでいう宅配の運転手、社会的に落ち着くと、故郷を離れ、エッセンシャルな公務員、いろいろ世間の常識を知らず、ほんとうに苦労した。

 なんやかやで、現在に至った。

 3年間のロスは、経済的に大きな損失を被った。学歴も中退、この年になると、かえって講釈のネタになってしまった。

 苦労はするほうがいい。苦労は大変だ。ひきこもりしている諸君、早く脱出すること、これだけは言える。

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