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人生69年、自己責任の反省の弁

 思い当たる表面的なミス。幼稚園・小学生時代の性格的不活発行動、原因はと、究明しても始まらない。他に比べての貧困、親のストレス、これらはやむを得ないこと、なぜ貧乏か、考えてみても始まらない。親も貧しいのは、一概に責任とは言えない。それは、置いておこう。

 本だけの考えでは、貧乏人は、金持ちを実力で倒すべき権利がある、それがすべてと思い込んでいた。それほど人間社会は、完全無欠ではない。それは、経典や聖書の世界と同じ、理想に過ぎないと、少し長じてからわかった。

 高校受験、性格的な面から、自分が文系であるにもかかわらず工業高校電気科へ入学した、結果的には、学校に時間や気を取られず、好きなことをしておれたのは、ラッキー。趣味としての、読書や映画、青春時代だった。よく、そういう方面で遊べた。いい時期だった。

 最初の希望校へ行けば、好きな女の子や文系への理想的進学もできたかもしれない。行った工業高校では、趣味のほか、友人関係(かたい奴ばかり)、ウェルテルやハンス・ギンベラートなどと似たり寄ったりの精神的放浪、他の高校生のことなど全然だった。

 まあまあの京都の某私立大学へ入ったものの、大学紛争の残り火と変なわけのわからん虚脱感から、中退して希望の大学への再受験をめざしたが、いつのまにかに、本当の引きこもり、3年半、後に、これが物理的にも経済的にも無駄、損、不利益だった。社会の路線に戻ってからは、おおいに後悔している。友人知人、親類の支持も失った。そして故郷を出た。

 下世話な話、大学中退せず、ちゃんと大学教育を受けておれば、もちょっとましな人生、社会面での自己実現ができたと思う、それが残念、いまとなっては、後悔後に立たず。ほんとうは、頼りにすべき、知人友人、親類・親などが適切に指導してくれればよかった。

 そういう状況にはなかった。ほとんど敵や仇となった。

 よく聞く犯罪者の更生や社会復帰、日本人にはできない、つくづく思う。

 もし自分に、そういう若者に援助できる機会があれば、応援支援したい。

 行政はもちろん、テレビや新聞等での報道は、すべて信頼できない。これは、ごくごく一部を除いてまやかし、金儲けのネタである。

 自分の経験から、そう思う、間違いない。

 自分のことは、自分で守り、生き抜くしかない。

 それが結論、かなしいけれど。

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