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ぎっくり腰&積年の腰痛、もう半年、いや、まだ半年。いつまで続くか、死ぬまでか、先はわからない

 昨年12月13日、何の気なしに自転車に乗って外出、自宅前を思い切り発進しようとした。フッと左側遥か彼方十数メートル以上離れた位置に走行中の軽四輪自動車を確認した。逆の論理でいけば、機嫌よく直進しているのに、年寄りが若向きのライトグリーン色の自転車に乗って、車前を急に出てきた、気分が悪い、ブレーキを掛けざるを得ない。
 そう直感的に思って、ブレーキをかけて停まって、軽四をやり過ごすつもりだった。それが安物の毛糸手袋だったので、ブレーキをかけ損ねたのか、自転車で転倒した。幸い、ゆっくり転んだのか、何の痛みも打撲感もなかった。単に転んだって感じ。それで終わりかと思った。
 その後、娘の診察付添に出かけた帰り、停止指定場所違反で検挙された。停止の概念が運転免許半年以上経って、ようやくわかった。「止まれ」は交差点よりだいぶ前、こんなところで停まっても左右確認なんてできない、そんなことは警察官、もちろん熟知。交差点の手前で停まって、それも一、二、三と数えるぐらい間合いで左右確認と前方、交差点内の状況などを確認しつつ、前進する趣旨なのだ。
 それがやっとわかった。ただ停まればいいのではない。
 とどめが夕食後、いつものようにデザート。チョコレートピーナッツを前歯で齧ると、音を立てて歯が傷んだ。
 この3件、全然、無関係のようで大いに関係があった。
 転倒、違反、歯痛、年甲斐もなくやりたい放題、それが天罰、神罰を招いた。
 人は、いつか老いる。いつかは死なねばならない。老いても元気で暮らしたいものは、それなりの注意と考え方を正しく持たねばならない。
 法律の軽視、自分勝手な解釈や判断、そして硬いものを平気で齧る、年甲斐もなく、平気でやってしまった。
 治療や日々の痛み、苦しみ、いままでこれほど苦しんだことはない。
 起床後、起きるに起きられない。あっちこっちが痛い。やっと起き上がっても、伝い歩き。
 外科、整骨院へ行く。軽くあしらわれる。よくある腰痛のようだ。
 整骨院で、ぎっくり腰&積年の腰痛と言われた。
 何らかの原因でぎっくり腰が発症、それによりいままでの無理がたたって、腰痛がでた。2か所ある。
 いまは、かなり寛解?腰を下ろすとき、少し凝る、硬い感じ。痛みはない。でも、これがいつまで続くか。
 反省しよう、命ある限り、この身体で生きていくほかはない。
 ある意味、70年間ありがとう、よくやってくれました。感謝したい。
 そう思いながら、今日の夜も更けていきました。
 明日もがんばります。高血圧と腰痛の二本柱とともに。
 おやすみなさい。

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