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海外旅行の思い出、いろいろあったけど、印象深いことたくさん。まずは韓国

 小学校の頃から地図帳を見るのが好きだった。国旗の柄と国名を憶え、首都の名前や歴史も知るのも大好きだった。だから社会科の成績は、ずっと他人よりずば抜けていた。ただ社会科だけ、しかし、それはずっと続き、現在も読書や映画やなんやら多方面で浅く広く知識の素になっている。
 大学中退で、ひきこもり、就職その後、故郷を出てから、少しづつ海外に関することが生活に関係するようになった。
 それでもはっきり関連したのは、
 公務員で予算関係の管理職をしていたとき、業務で使用する燃料の入札で、こともあろうに、入札前日、日本の原油の輸入先であるクウェートがイラクの侵攻を受けた戦争、原油価格の先行きは、当然、誰もわからない、そのような影響は入札にもあった。
 それまでは、国際情勢は、あまり仕事に直接、影響することはなかった。
 その後も、日本の国際化により外国人が増え、その対応やおそまきながらのIIT化、様々な面で外国語対応は必要不可欠になっていた。
 エッセンシャルな公務員であったので、職員の多くは、まったく外国なんて別世界、異次元であった。それに直接、担当せざるをえない情況、ほんとにたいへんではあった。いまにして思うと懐かしい。
 そうこうしながら、50歳で先が見えたのと、娘の病気や人事上の不満で、わが道を行くことにした。
 そして、とりあえず念願の海外旅行、まずかもっとも近い韓国、連休と年休1日を取って、部下一人とソウル、二泊三日だった。
 関空から隠岐の島ぐらいまでは普通の気分、やはり窓から朝鮮半島が見えると感動した。ついに海外だ。地図と同じ形だって、当たり前だけど。
 金さんという先方のガイド、空港出口で待っていてくれた、だけど、そこまで。ホテルで終わり、ずっと一緒じゃなかった。
 それでも、なんとかなった。
 その日の夕食は、焼き肉。高齢の女性がつきっきりで食べ方を教えてくれた。お互い言葉は、全然通じない。でもうまくいった。通じたのは、鶴橋、(大阪の街名、焼き肉や韓国人街で有名)だけ。
 2日目からは、バスに乗ったり、景徳宮、朝鮮戦争博物館など行き当たりばったり、ソウル中心の大きな片側数車線の道路、戦争になったらジェット戦闘機が離着陸できるとのこと。さすが戦時体制の国だと感心した。ついでにカービン銃で軍服の軍人が普通に歩いていた。通行人は、全然、違和感を持っていない、当たり前の様子、これも日本人からはあれまって思う。
 夜も商店街みたいな場所やコンビニを歩いた。反日感情はなかった。
 レストランというか食堂でも、言葉が通じない。店主が来て、どうするって感じだった、隣の韓国人と一緒というゼスチャーをすると、その韓国人が「イルボン~」(日本人~)って感じだった。店の看板は、お魚マークだった。いろいろ料理はあった。全部ハングルで全然わからなかった。英語もない、バスに乗るとき、運転手と指で料金がわかった。
 夜、ホテルがわからなくなって、道行く女性に聴くと、近くの高齢者に、また聴いてくれた、若い人は多少英語が通じた。
 タクシーに乗ると、なんの挨拶もなしに別の人が乗り込んでくる。運転者がいまの乗客(われわれ)の行き先を告げると、残念そうに降りて行った。
 その国その国で、いろいろだ。
 あっという間の三日間、いい勉強、いい驚き。
 韓国が好きになった。最近ようやく日韓関係が正常化しつつある、嬉しいことだ。
 いろいろ問題はあるだろうけど、遠めにみたら、同じような人間同士。
これからもずっと仲よくしよう。

木槿(韓国国花)

 夏の暑い頃の写真、間違えたらごめんなさい。木槿(むくげ)大好き。韓国映画も大好き。
 

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