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久方の雨、救いの神となるか

 関西地域は、雷を伴う強い雨が降っている。この時間、いつもは静かに眠りの時を迎える時刻である。今宵は、雨、それも外のいろいろなものを叩きつけるようなざぁざぁと本格的な雨音、そこへ時をおいてごろごろと響く雷、久しぶりである。

 近畿地方は、最近、雨が降らない。例年、感想する時季ではあるけれど、今年は、特に雨が少ない。先だっても、近畿圏の水がめである琵琶湖のある滋賀県知事と関西地方の中心と言える大阪府知事がテレビで、今後も降水量が少なときの対応でテレビで論じていた。

 まずは来るべき困難を住民に知らせ、危機感を持たせる。行政は、それへの対応を種々検討する。そして渇水による問題が発生したら、あらゆる手段で、住民生活、企業その他もろもろへの対策を講じる。

 水不足は、なにも今に始まったことではない。コロナのような感染症と同じである。しかし、いったん被害が出てから、以前と同じような対応しかできない。被害・損害が思い切り出てから、自然な終わりを待つだけが、現状だある。自然現象は、しかたないと諦めている。

 すでに琵琶湖は水位が標準から70センチメートルも下がっているとのこと。

 いまの本降りの雨も、明日の朝には上がる予報である。

 自然が、なにかの力で変化する。それはしかたないことだ。

 甘んじて受けよう。人間、したい放題してきた。

 知事や市町村長だけでなく、われわれ一人ひとりが生き抜こう。

 死んだら終わり。熱海のような土砂崩れがあるかもしれない。人吉のような河川の氾濫があるかもしれない。軽石で港が埋まって、船が動けないかもしれない。

 みんなで、一人ひとりで頑張ろう。

 すべては天罰。他人のせいにはしない、自分のせいだ。悪いんじゃない、そういう世界なのだ。

 天は自ら助くる者を助ける。

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