2024年に向けて、あと3日。どういうことはないけど、また気分一新!
数え年で72歳になる。昔の自分から思えば、年寄りも、そこまで行ったかと感心していた。
弘法大師や豊臣秀吉は、62歳で亡くなった。一方は入定、自分の意思で死んだ、経過や状況は不明、もう数年前、弘法大師空海の教えの流れを汲む綜芸種智院大学の臨時講演会で、大師の『御遺告』(なくなる6日前に弟子に伝えたもの。)を解説・レクチャーを植えkる機会があった。
自分自身の反省として、こういう生き方もあったと思う。だけど、講師も、時折、本心、一般社会で働いていた時や僧侶になると母親に話した時など、様々に迷うことを話された。それが人間だろう、そうでなくしては、宗教家として人生を送れない。
迷いがあって、はじめて宗教家といえる。
そんなことを考えながら、あと3日で一年を迎える。
ほんとうは、どうってことない3日なのだ。
毎朝、日本経済新聞の連載小説『陥穽』を愉しみに読んでいる。明治の政治家、様々な明治維新の改革を成し遂げた人だ。寡聞にして、ここまでやっていたかと自分の不勉強を想わざるを得ない。
今月は、女優の倍賞千恵子さん、同じ日本経済新聞の同じ最終ページの『私の履歴書』というエッセイ欄に寄稿している・
これも読みでがある。この内容も、自分自身の不明を恥じるばかりである。ずっと年上とはいえ、あまりにも知らないことが多すぎる。
とはいえ、時代は変わった。
これからいろいろ時代は変わるであろう。
あと何年、健康で元気に生きられるか、まったく不明、その中で、様々に関心をもってがんばろう!
この年になると、有名人、知人友人、近所の人の訃報が気になる。
メメント・モリとか、人は必ず死ぬとか、他人事のように考えてはおれない。考えても、仕方ないけど。
また明日が来る。
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