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"老い”を生きる(5)

 老いをテーマにして文章を作る。自分が年寄りだから、この先、老いていくばかり。当然、日々劣化していくのである。盛者必衰の理、身体的には、疲れやすい、眠くなる、きつい労働をさける。もっと質が悪いのは、精神的、心の持ちよう。上手にさぼる、言うばかりで何もしない、上から目線、本人は気付いているのか、わからないでやっているのか、どっちにしても現役や子供からは、嘲笑の対象でしかない。しかし、なかなか死ねない、死ぬのはいやだ。弘法大師や三島由紀夫の剛胆さに驚くばかりの私である。

 向高齢化の本として感慨深いのは、昔、朝日新聞に連載された山田風太郎著「あと千回の晩飯」、黒井千治著「老いのかたち」。前者は図書館で借りて再度、読んだ。黄色に変色していた。昔風の図書カードで、結構読まれていたようではある。後者は、書店で見かけて買って読んだ。ためになる、自分の思いと似たようなこと、先輩の大家がいい文章で分かりやすい。

 地域にも、高齢者は多数。勉強になる人、まったくならない人、様々。順番で、静かに減っていく。自治会長二年やった。一番いやなのは、葬式への参列、知っている、お世話になった人が亡くなる、痛恨の悲しみ。できれば出席したくない。いつまでも、どこまでも元気でいてほしい。亡くなったお顔、できれば見たくない。以前は、ご親族様のみで最後のお別れだったのが、最近は、列席者に拝顔・参拝を勧めるようになった。火葬場での最後のお別れもまた、そのたびに落ち込む。永く闘病して、疲れ果てた場合には、心の奥底に、やれやれという思いもある。本人もそうだろう、死ぬに死ねない、胃ろうや管・ケーブルたくさんつけられて、どんなものか。尊厳死などないのか、安楽死だけか。いい思い出を続けたいものだ。

 コロナで有名人の死、葬式も最後の別れもできなかったと。ある意味、生きたままで、ずっと。それもいいかもしれない。

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