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彼岸花、この麗しい日本語、好き。

 ヒガンバナ科の花、秋が来るといつも大好きな花、田んぼの畔道に、明るい赤、紅色、人によっては毒々しいとまで言われる花、彼岸花、曼殊沙華、いろいろ言われる。女郎花、ほかいろいろ。以前から花は、それなりに好きだったが、意を尽くして真剣に考え、思いを致すのは退職後。

 やはり人は、閑暇(ひま)を持たないと、人間らしく生きられない。

 私も、現役時代は、エッセンシャルな国家公務員、大きな高層ビルで、空調の効いた事務室で、午前9時ごろ登庁して、午後6時ごろ退庁、それからゆっくり仕事するハイレベルな官僚ではなかった。暑いときは、汗水たらし、ベタベタの制服、どっちを向いてもストレス源の人間関係に首を掴まれ、精神的に、殴られ蹴られ、物理的にも、12回の転勤、ああつらかった。それでも、39年なんとか続いた。家族、同僚、知人・友人のおかげです。いまは、リタイア爺さん、元気に過ごしている。

 それでも秋が来ると、仏心、曼殊沙華を楽しみにしている。今年3月永く病床にあった母が死んだ。浄土真宗教徒として、阿弥陀様のご来迎を少しでも感じると、心から信仰に励むのだが、一向に、お姿もお蔭もなかった。

 コロナで、葬儀はひっそりと。家族葬とはいえ、ほんとの近親者のみ。親類も、コロナ怖さか、ほとんど来ない。そんなものかと今更、思う。高齢だから、致し方ないとは思う。そんな時勢なのだ。

 せめて花、写真のような白い、清らかなヒガンバナ、こころから母の新たな旅立ちを見守ろう。

 作家 立花 隆さんの「臨死体験(上)」を読み終えた。人間、死の先は、わからない。そのスタートかゴールの死の間際、どうなのか、素人にもよくわかるように取材・記録、表現されている。

 死は怖い。100パーセントの確立で死ぬ身にとって、心静かに、死んでいけるよう腹を決めておきたい。

 いま、認知症とかで、死ぬついて苦しみ悩むことはないようだ。植物人間状態になって、5年以上、寝たきり同然の末期。それがいいのか、ではどうする。自分で考えなくては。


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