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物は、使わないと、使えなくなる

 ささやかなガーディニング、安価で購入した剪定鋏、永らく使っていた。切れはよくない。でも、支障はないし、バリバリに切れる必要もなかった。どうにもならない太い幹とかは、もう一段上の鉈(なた)や鋸(のこぎり)で対応していた。そこへ長女が父の日、何かプレゼントしてくれるという話。つい、剪定鋏あれば嬉しい、と即答してみた。

 買ってくれた。やはり少し値が張るし、いい物だった。新しい物ばかり使ていると、ごく偶に、かたすみに追いやってしまった古い剪定鋏、使ってみると、もう全然切れない、「すねてるのか。」と問いたくなるような気持ち。むしろ使わなかった自分自身、高齢者になってストレスいっぱいの仕事から解放され、年金で何の苦もなく生活している自分自身と比べて、この長年愛用の剪定鋏がひどく可哀そう、気の毒になってきた。

 なんとか研ぐなどして、また元気になってほしいものだ。

 使い捨ての時代、大事に大事に、絶対、使えないところまで、使いたい。

 自家用車は、ホンダ N-BOX、もう8年目。その前のホンダ アコードは、14年乗った。少し調子を悪くして、ディーラーに持ち込んだ時、女性事務員さんから言われた言葉、「長い年月、愛用していただいて、ありがとうございます。」って。こころが熱くなった。

 単身赴任中、次女が乗り回して、交差点で似たような若い女性の車と衝突して、なんかシャーシーというのか運転機能が調子狂っていたけど、大勢に影響ないとして、ずっと乗っていた。14年は長い。定年退職とともに、下取りに出して、いまのNーBOXに乗り換えた。もう終わりかもしれない。

 もし乗り換えするとなると、電気自動車の自動運転、免許は持っているだけかも。まだまだいける。

 怖いのは事故を起こすこと。間違っても、あの上級国民と同じにはならない固い信念と決意、まずはスピードを出さないことに徹している。やばいと思ったら、自分が待つ。事故を起こしたら、大変だ。

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