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「ケイケン」という名の免罪符

「2年間はこの部署で経験を積んで欲しい。遅くとも必ずその後に希望の部署に行けるから。」

 僕はいわゆる大企業から内定をもらい、就職する2週間前に採用で応募していた職種と違う部署に配属することを言い渡された。控えめに言ってかなり落ち込んだ。面接や応募書類では一貫して希望の職種とそのために必要な経験やスキルを伝え、先方もそれを評価してくれていたと感じていたからだ。2ヶ月以上前に内定を出しておいて、入社する直前に希望と違う配属を言い渡すなんてフェアじゃない。会社に対する不信感は一気に増した。

 それに前職の経験から、特に大企業と社員の約束は約束ではなく気休めの可能性がとても高いことを知っていたからだ。「2年間」と約束してくれた人が2年後にはその責任のあるポストにいるとは限らないし、新任者の人は前任者のした「約束」なんて知ったことではない。

 結局2週間後に入社した。10ヶ月後、僕はまた同じ人と話す機会を経て異動の可能性について聞いてみた。するとこんな返事が返ってきた。

「2年あれば異動できると思うよ。」

僕は絶句した。まさに返す言葉が出てこなかった。仕事上では言葉の選び方一つ慎重になるはずなのに、この人は自分との会話で言ったことをちゃんと覚えていない。つまりあの時の会話の発言の重みなんてものはその程度のことでしかなかった。

 会社に入ってから色々な人に入社の経緯を話す。人によって5年、3年待てば希望の部署へ行けるという。それまでにする「ケイケン」はきっと役に立つと言う。同じ会社で同じ仕事をずっとやってきた人が、だ。

 何度も、色んな人に言われた僕が得るであろう「ケイケン」。僕はこの「ケイケン」を得るために2年以上の月日を捧げなければいけないらしい。

 「ケイケン」、最近嫌いな言葉1位に躍り出てきた。聞きたくない。

 「長い会社人生に比べたら」これも最悪な言い回しだ。

 思うに、年上の人は「ケイケン」という名の労働年月でマウントをとっているだけなのだ。だから平気で数年単位の労働を押し付けてもなんとも思わない。そして他人事のくせに親身になって考えているかの様に浅い気休めを言う。

 自分でなんとかするしかない。これは真理なのだろう。誰かが助けてくれるかもしれないが、それは自分がそれ相応の結果と実力を見せつけた上での話なのだろう。

 とはいえ、やはりやりたくない仕事はメンタルやられる。転職という選択肢を持っていないとどうかしてしまいそうだ。休日や業務外で少しでも好きなことをするのがかけがえのない時間になっている今日この頃である。