Jittan

1991年 静岡県生まれの32歳。2児のパパ。 どこにでもいるようなごく普通のサラリー…

Jittan

1991年 静岡県生まれの32歳。2児のパパ。 どこにでもいるようなごく普通のサラリーマン。営業企画系のお仕事を中心に働き、現在2社目。 住んだことのある場所は、愛知、大阪、鹿児島、そして静岡。 趣味は、海外サッカー観戦(もちろん中継で)と、家庭菜園。

最近の記事

Vol.3 父の日に傷ついた一言

小学校3年生くらいの時だろうか。父の日を間近に控えた時期に、小学校のクラスでお父さんに向けた感謝の手紙を書くという授業があった。 目の前に置かれた便箋に、僕は何も書けずにいた。父を亡くした自分にとって、手紙を書くことは無関係に思えた。 手が止まっている僕を見て、担任の先生が来て声をかけた。 先生「どうしたの?悩んでる?」 僕「僕のお父さんは死んじゃったから、書けないんだよ」 先生「そうだよね、じゃあ親戚のおじさんに宛てて書いてみたら…?」 僕はこの「親戚のおじさんに

    • Vol.2 父の死は、かけがえの無い出来事だった

      6歳のときに白血病で亡くした父は、パティシエだった。和菓子屋を営んでいた祖父の店でケーキを売るようになり、和菓子と洋菓子がどちらも並ぶ店を営んでいた。 多分、父が生きていたら、僕もパティシエの道を歩み、あとを継いでいた思う。 しかし、実際はそうならず、僕は名古屋の大学に進学して大阪の企業に就職し、大学時代からお付き合いしていた今の妻と結婚した。 先日、家族を連れて僕の実家に帰省したときのこと。僕は3歳の息子と僕のアルバムを見た。 闘病前の父と写る写真が、闘病中の父と写

      • Vol.1 自分にしか無いもの

        僕は母子家庭で育った。 小学生に入学する手前の6歳のころ、僕は父親を亡くした。白血病だった。 そこから現32歳になるまでの約26年間、血のつながった父のいない世界で生きてきた。 自分の人生を振り返ると、この父の死は自分にとっては苦しいイベントというよりは、意外と肯定的なただの出来事という方がしっくり来る。しかし、同時にその出来事をタブー化して触れないようにしていた感覚もある。 父がいないことで周りの人との小さな"ギャップ"がたくさんあった。悲しいこと、つらいこと、喜びや楽

      Vol.3 父の日に傷ついた一言