見出し画像

言語運用(パフォーマンス)のゴミ箱としての扱いについて考える

こんにちは、やのです。

今日は、タイトルの意味を説明した後、個人的に好きな研究を二つ紹介したいと思います。

言語運用(パフォーマンス)のゴミ箱化

まずは、ノーム・チョムスキーの有名な一節から始めていきます。

We thus make a fundamental distinction between competence (the speaker-hearer’s knowledge of his language) and performance (the actual use of language in concrete situation). (Chomsky, 1965: 4)

ここでは、言語の知識(competence)と言語の運用(performance)の間に(何らの意味で)根本的な区別をしましょう、ということを言っています。さらにこの本には次のような有名な主張があります。

Linguistic theory is concerned primarily with an ideal speaker-listener, in a completely homogeneous speech-community, who knows its language perfectly and is unaffected by such grammatically irrelevant conditions as memory limitations, distractions, shifts of attention and interest, and errors (random or characteristic) in applying his knowledge of language in actual performance. (Chomsky, 1965: 3)

「言語理論は、主として、全く等質的な言語社会における理想上の話者・聴者を対象として行うもので(安井訳、研究社)」という文なのですが、一部のひとはなぜかこの文を曲解していて、「言語学」というのは言語の知識を扱う分野であって、言語の運用を扱う心理言語学という周辺的な分野は、体系性のない、雑多な現象を扱う分野であると勘違いしているようです。これがタイトルにある、言語運用のゴミ箱としての扱いです。さらに理論言語学には理論があって、心理言語学には理論がない(実験屋さんという差別)と思っているひともいるようです。

そこで今日は、本当にそうなのかを知ってもらうために、個人的に好きな移動現象に関わる文理解研究を二つ紹介したいと思います。移動は人間の言語に固有の性質であり、それをどのように人が解析しているのかは人間の言語能力について重要な示唆を与えてくれます(というのは単なる表向きで、単に学部2年生対象の心理言語学の講義でちょうどこのトピックについて議論したので書きやすいだけです)

文解析は賢い①

先程述べたように自然言語には移動があります(無いという分析もあるかもしれませんがここでは割愛します)。例えば、英語では、以下のようにWH句は節の先頭に移動します(移動しないこともたまにあります)。

(1) a. What ___ is hitting Mary?
     b. What is Mary hitting ___ ?
     c. What is Mary hitting that woman with ___ ?
     d. What did Tom think that Mary was hitting that woman with ___ ?
     e. What did Harry say that Tom thought that Mary was hitting
         that woman with ___ ?
  「__」は元々WH句があった場所(gap: 空所)を示しています。
                                                                                                   Stowe (1986: 227)

英語では複数の位置から移動が許されるので、WH句を見ただけではその役割(主語なのか目的語なのか、前置詞の目的語なのか)はわかりません。従って、このような文を理解するためにはWH句がもともと居た節の中でどのような役割を担っているかを特定する作業が必要になります。それをひとがどうやっているのかを調べたのがStowe (1986)です。

実験で使用された文は四種類あります。まず、(2a)はWH句がないので、元位置(gap)を探す必要がありません。この文は、それ以外の三つの文で理解の困難さが生じたかどうかを知るための基準条件(baseline condition)の役割を担っています。(2b)から(2d)は、それぞれ主語、動詞の目的語、前置詞の目的語からWH移動がある文です。

(2) a. If-clause (baseline condition)
      My brother wanted to know if Ruth will bring us home
      to Mom at Christmas.
      b. Wh-Subject
      My brother wanted to know who ___ will bring us home
      to Mom at Christmas.
     c. Wh-Object
     My brother wanted to know who Ruth will bring ___ home
     to Mom at Christmas.
     d. Wh-Pobj (prep + object)
     My brother wanted to know who Ruth will bring us home
     to ____ at Christmas.
                                                                                                  Stowe (1986: 234)

注目してほしいのは(2d)の文です。この文を読むときに有り得そうなプロセスを考えてみます。まず、whoを見た時点でgapを探さなければならないことがわかります。次にbringという他動詞(=目的語が必要)があるので、その目的語位置にgapがあるのではないか?という予想ができます。

しかし、そのような予測をしてしまうと、bringのあとに実際はgapはなくusが出てくるので、予想は外れてしまい、分析をし直すことになります。

このようなプロセスが本当に働いているかを調べたのが実験1です。実験方法としては自己ペース読文課題を使用しています。パソコンを使って単語毎に文を読んでもらい、その長さをミリ秒単位で計測する方法です(ここで体験できます)。

実験結果は以下のようになりました。

(縦軸は読解時間 ms. Table 2を基に矢野が作成)


Object (us)の読解時間を見ると、(2d)(紫)の読解時間が、基準条件の(2a)(青)よりも長くなっていることがわかります。これをfilled-gap効果(gapが埋まっていたことによる効果)と呼びます。読解の遅延は通常、文理解にかかる負荷を反映していると解釈されますので、先ほど説明したようなプロセスが働いていることが示唆されます。言い換えると、ひとは「WH句を見たときに限り出来る早い位置にgapを想定する」という方略(Active Filler Strategy)を取っているようです(fillerはWH句のように移動した要素のことです)。

(ここでもしそのような方略を取っているなら、主語が最も近い位置なのだから(2c/d)ではRuthの時点でもfilled-gap効果が起こるはずでは?という素晴らしいツッコミが心理言語学の講義でありました。WH句とgapが隣接しているとfilled-gap効果は起こらないのですが、隣接していない場合には主語位置でもfilled-gap効果が起きます。cf. Lee 2004

さて「出来る限り早い位置にgapを想定する」という方略であれば文解析はあんまり賢そうな感じはしませんが、Stowe (1986)の面白いところはここからです。二つ目の実験では島の制約(island constraint. ざっくり言うと、島と呼ばれるある一定の領域からは名詞句の移動が許されない)を使って、「gapが想定できそうに見える最も近い位置が島の内部であれば、そこにgapを想定することを回避できるか」ということを調べています。

実験で使われた文は以下のような四種類です。(3a)と(3c)は読解の遅延が発生したかを判断するための基準条件ですので、注目すべきなのは(3b)と(3d)です。

(3) a. If-VP (baseline condition)
      The teacher asked if the team laughed
      about Greg’s older brother fumbling the ball.
      b. WH-VP                     
      The teacher asked what the team laughed
      about Greg’s older brother fumbling ___ .
      c. If-Subject (baseline condition)
      The teacher asked if the silly story about Greg’s older brother
      was supposed to mean anything.
      d. Wh-Subj                   ↓subj island
      The teacher asked what the silly story about Greg’s older brother
      was supposed to mean ___ .
                                                                                                  Stowe (1986: 239)

(3b)のlaughは自動詞なのでこの時点で目的語の場所にgapを想定することはできません。しかし次にaboutが出てくるのでこの目的語位置にgapを想定することができそうです(「何について笑ったのか聞いた」という解釈)。そのような想定をしたとすると、Greg’sを読んだ時点でその想定が誤っていることがわかり、filled-gap効果が発生すると考えられます。一方、(3d)はaboutを読んだ時点でその直後にgapがあるという想定は文法的にはできません。なぜなら、英語では通常、主語内部からのWH句の移動はできないからです(The teacher asked what the silly story about __ is interestingは非文)。そのような知識を生かして、ひとが文解析を行っているのであれば、aboutの位置ではgapを想定しませんのでGreg’sの位置でのfilled-gap効果は起こらないことが期待されます。一方で、文解析は言語知識とは無関係に何らかの方略をとっているのでれば遅延が起こる可能性があります。

実験結果は、以下のようになりました。最後のGreg’sのところで、(3b)(紫)は(3a)(緑)に比べて遅延(filled-gap効果)が起きていますが、(3d)(赤)は(3c)(青)に比べて遅延が起きていません。

(縦軸は読解時間 ms. Table 4を基に矢野が作成。順番がわかりにくくてすみません)

つまり、ひとは、「WH句を見たときに文法的に許される最も早い位置にgapを想定する」ということをしていて、決して、文法的な制約にも従わずにあんぽんたんなことをしているわけではないようです。

それでも「いやー、(3b)は動詞が出てきた後のfilled-gap効果を見てるけど(3d)は動詞が出てくる前の時点で見てるから納得できんなー」という言語学者のために、研究をもう一つ紹介します。

(ちなみに「動詞が出てきてから解析を始める」という主要部駆動型解析と呼ばれる仮説が昔ありまして、ここでそれを仮定すると主語位置でfilled-gap効果が起きないのは文法規則を遵守しているというより、そもそも文解析が始まっていないという可能性もあるので、これは的を射た指摘です)

文解析は賢い②

二つ目に紹介するのは、例外的に主語内部にgapが許される寄生空所構文(parasitic gap construction)に関する実験です。

 先ほど説明したように主語内部からのWH移動は基本的に許されませんので(4a)は非文です(意図された解釈は「何を修理しようとしたら、最終的に車を傷つけることになってしまいましたか?」というような解釈なので、内容として変な質問文ではありません)。一方、目的語からの移動は可能なので(4b)は正文になります。寄生空所構文と言われるのは(4c)のような文で、この文では、WH移動不可能な主語からの移動をWH移動可能な目的語から移動と組み合わせると、その文が正文になってしまうという現象が起きています。このときの主語内部の空所が寄生空所です。

(4) Infinitival :
a. *What did [the attempt to repair ____] ultimately damage the car?
b. What did [the attempt to repair the car] ultimately damage ___ ?
c. What did [the attempt to repair ___] ultimately damage ____ ?
(アスタリスク * は非文のマーク)
                                                                                               (Phillips, 2006: 796)

しかし、これにはさらに制限があって、不定詞節(to 動詞)だと寄生空所が許されるのですが、関係節だと、主語gapと目的語gapを組み合わせても非文のままです(5c)。

(5) Finite relative clause:
a. *What did [the reporter that criticized ___] eventually praise the war?
b. What did [the reporter that criticized the war] eventually praise ___?
c. *What did [the reporter that criticized ___] eventually praise ___ ?
                                                                                               (Phillips, 2006: 803)

なかなか複雑な規則です。ひとはこのような文法知識を利用しながらgap位置を正しく想定しているでしょうか?Phillips (2006)はそのような問いを調べるために、自己ペース読文課題を使って実験しました。実験に使用されたのは(6)のような文です。

(6) a. Infinitival/Plausible (baseline)
      The school superintendent learned which schools the proposal to
      expand drastically and innovatively upon the current curriculum
      would overburden ____ during the following semester.
      b. Infinitival/Implausible
      The school superintendent learned which high school students
      the proposal to expand drastically and innovatively upon the current
       curriculum would motivate ____ during the following semester
      c. Finite/Plausible (baseline)
      The school superintendent learned which schools the proposal
      that expanded drastically and innovatively upon the current curriculum
      would overburden ____ during the following semester.
      d. Finite/Implausible
      The school superintendent learned which high school students
      the proposal that expanded drastically and innovatively upon the  
      current curriculum would motivate ____ during the following semester.
(plausible/implausibleは仮にwh句をexpandの目的語として取ると自然・不自然になるという意味です)
                                                                                               (Phillips, 2006: 808)

仮に「文法的に可能な出来る限り早い位置にgapを想定する」という解析方法を仮定したときにどのような結果になるか考えてみます。(6a)ではまずwhich schoolを見た時点でgapを探さなければならないことがわかります。次にto expand は不定詞なのでgap(寄生空所)を想定することができます。そのような想定をしてもexpandを読んだ時点で特に問題は生じません。一方、(6b)はどうでしょうか。which high school studentsの時点でgapを探さなければならないことがわかります。しかし(6b)では、expandの時点でその直後にgapがあると想定してしまうと、不自然な意味(高校生をexpandする)になってしまうので、一時的にでもそのような想定をしてしまうと遅延が発生する可能性があります。

 一方、寄生空所が許されない(3c/d)はどうなるでしょうか。まずwhich school/which high school studentsの時点でWH句があることがわかります。しかし(6a/b)とは異なり、the proposal は that expanded という風に関係節を取っていますので、この内部に文法的に可能なgap位置を見つけることはできません。従って、「主語内部には例外的に空所が許されることがあるけれども、関係節の場合はその例外は適用されない」という規則を守っていれば、(6d)のような文のexpandedでは不自然さによる遅延は発生しないことが期待されます。

(どの文でも最終まで読めば本当のgap位置は下線で示された位置であることがわかりますが、あくまでポイントはexpandを読んだ時点で目的語の場所にgapを想定したかどうかです)

 実験の結果、(6b)のexpandの読解時間は(6a)の読解時間よりも遅くなりましたが、(6c)と(6d)の間には読解時間の違いはありませんでした。従って、文解析は「文法的に可能な最も早い位置にgapを想定する」という考えに整合する結果となっています。しかも、この実験の場合、主語の内部にgapを想定するということは、珍しい寄生空所構文の統語解析にコミットしている(= まだ出てきていない本動詞が他動詞で、目的語からのWH句が移動しており、そのWH句は主語WH句と同じものを指すと予想している)ことになるので、個人的にはひとの言語運用は結構すごいことやってるんじゃないかと思います。

おわりに

話は変わって、最近学会などで文処理研究のセッションに参加したことがあるひとは、「文法性の錯覚現象」というのが話題になっている(た)ことをご存知かもしれません。これは「The key to the cabinets are 〜」のように、文法的ではないけれども、そのような文が発話されることがあったり、理解するときに難しくなかったりする現象のことです。分野外のひとからは分かりづらいと思うのですが、この現象が言語運用の分野で注目されているのは非常に限られた選択的な状況下でのみ起こる(そして、そのことが言語運用のメカニズムについて重要な示唆を与えてくれる)現象だからです。決して言語運用はエラーばっかりなのでそのような現象を集めているというわけではありません。残念ながら日本語に関する研究はまだ進んでいないのですが、東大(現 立命館大)の峰見さんが先駆的な研究をしているので気になるひとは聞いてみると良いかもしれません。

今日の話は次回の言語知識と言語運用の関係性に関するブログの前振りでした。かなり込み入った話になってしまったので質問やコメントお待ちしてます。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?