オウン・キャパシティ
人は皆、幸せになりたいと思いながら過ごしている。そこのあなたもきっと、そうだろう。もしくは、既に幸せを感じているかもしれない。
だが、「幸せ」という言葉に捉われがちなのも事実だと思う。
「幸せ」の定義とは一体、何なのだろう?...実はそれ、人によって全く違ったりする。
都内のバカ高いタワーマンションに住み、将来裕福に過ごせるだけの資金もあってベントレー乗り回す様な環境なのに、明日死にたいと思ってる人もいるかもしれん。
かたや、懲役食らって牢屋にいるにも関わらず、「やった!タダ飯食えるぜ、ラッキー!」ってな感じで、ゴキブリばりの生命力で幸せにやってる人もいるんだろう。
だから、そう考えると「幸せ」って結局は思い込みであり、気分次第だと思うんだよね。
「お金が無いから不幸せ」と思うかもしれない。確かにな...この世はカネが全てだからね。辛いのは本当に良く分かる。カネってのは、あるに越した事は無いだろう。
でも、結局それも何かを基準として比較した結果、出てきた感覚なんじゃないかな?
「自分は同い年のあの人よりも頭が悪く、所得も低い。好きな物も買えない。だから不幸せだ」と思ったり。
でも事実、所得が低くて欲しいものが買えないなら、結局それがあなたの実力であって、それをこれから大きく変えるのは難しい。年齢次第では可能かもしれないが、チャレンジの過程で大きなストレスとなって、結果、「幸せ」とは無縁になってしまうかもしれない。
だから色々上手く行かない人は、一旦その考えを置いて...自分の身の丈で生きる事を考えてみてはどうだろう。「自分らしさ」を真剣に哲学するのだ。
いつも自分にも他人にも厳しい事ばっか言う私だが、今回はちょっと趣向を変えまして...。
ま、何も努力=正義じゃない。するかしないかは、その人の自由だ。私みたいに才能の無い人間が努力して、逆に追い詰められるようでは、それもそれでまずい(笑)。
特に「金持ち=幸せ」みたいな図式が頭の中にあると、余計ハマりやすいのだ。自分に厳しくて真面目な人は、その意識のまま転ぶと、なかなか這い上がって来れない。
カネ持ってりゃ幸せ...なんて事は絶対無いからね。それだけのリスクを買う事自体が不幸だと思えるなら、「金持ち」なんざ目指す必要も無い。
「今の自分の実力」を受け入れられるほどの「器の広さ」を身に付けた方がずっと、幸せへの近道だったりするのかもしれない。
もちろん、それを「逃げ」と捉えるかどうかも、自分次第なんだけど。
——以前タイに住んでいた頃、私はそこそこ立派なコンドミニアムに住んでいた。
詐欺師に騙された直後で、生活を取り戻す為に睡眠時間を削って働いていた時のこと。
私の住んでいたコンドミニアムの下にはコーヒーショップ、銀行、セブンイレブンなどが入っていた。その日、不意に仕事が大量に入り、急がなければならなかった。
夕方のタイミングで仕事が入ったので、エネルギーを入れてから働こうと思い、小走りでセブンイレブンへ行き、まずは夕飯を買う事にした。しかし...
こういう時に限って、レジは並ぶものである。...私としてはさっさとご飯を胃袋に流し込んで仕事に入りたいのに...。イライラが募る。
数分後、ようやく私の番になった。私は合計で100バーツ未満の食品を購入した(1バーツ=約3.5円)。
細かい金額を持ち合わせていなかったので、タイで一番大きい1000バーツ札を出して、お釣りを貰う事にした。
しかし...返ってきたのは、何と数十バーツだった。
つまり、レジを打った女性は、私が出した1000バーツ札を100バーツ札と見間違えたのである。
レジは大勢の人たちでつっかえていた。とにかく、その時はタイミング悪く混んでいたのだ。
タイ人がお釣りを間違えたり、注文を間違えるのは本っっっっっっっっ当に良くある。タイに行った事がある人、住んだ事がある人なら激しく同意してくれるだろう。
だが、今回ばかりはあらゆる意味でタイミングが悪すぎた。しかも、彼女は間違えた事に気付かずにレジを閉め、次の人相手に接客を始めた。
私は大きな声で恫喝した。もうレジを閉められていたので、とにかく主張するしかない。店内には黒人から中国人、ファランまであらゆる人種の客がいたが、みんな私の怒鳴り声で静まり、店内は騒然となった。
「1000バーツ出しただろうが!」
大声で彼女に言うが、焦るばかりで対応出来ない。若い子だったし、経験が浅いのもあったのだろう。
(...クソッ...全てが上手く行かない...)
神なんてものがこの世にいるなら、目の前で中指を立ててやりたい気分だった。
私がその時の気持ちを全力でぶつけまくっていると、彼女の先輩と思われる女性が庇う様に前に出て、私を接客した。
先輩女性の顔は笑顔だった。その笑顔は、大人気なくヒートアップした私の気持ちを見事に冷やした。
そして事情を説明し、めでたく正しいお釣りが返ってきたのである。
こうして振り返ると、情けない事をした...今では考えられない。確かにあの時は焦っていたし、ただでさえカネが無く追い詰められていた中、大きく釣り銭を間違えられて気が動転したのもある。
寝不足かつ先の見えない日々、急いでいるにも関わらず混み合う店内、タイ人の頭の悪さ...その全てが、私に追い討ちをかけたのも事実だ。だが、もちろん他の選択肢もあったはず。...私も、まだまだ。
......次の日、私は再びそのコンビニに足を運んだ。
階下のコンビニである。足を運ばない日は無い。当然ながら、店員とは顔見知りになる。昨日私がどなった女の子も、その子を庇った先輩女性もみんな、元々知っている人たちだ。
私は気まずかった。被害者だったとは言え、店内を騒然とさせてしまう程の怒鳴り声を浴びせてしまったからね...。正直、顔を合わせづらい。
その時は確か、数本のミネラルウォーターを買った。金額にして、数十バーツ程度。
レジに立っていたのは、私が昨日怒鳴り付けた子だった。
私が100バーツを出し、お釣りを受け取る。私は気まずかったものの、強がってその心情を表に出さぬよう、努めた。
...その時の彼女の表情は、今も忘れられない。
何と、笑っていた。日本式の営業スマイルではない。そのくらい私にも分かる。昨日の出来事を意識しつつ、その笑顔は明らかに私に向けられていた。「へへ...」という声も聞こえた。
ただし、その目は潤みを帯び、謝罪していた。さらに眉毛はハの字で、眉間にはシワが寄っていた。そして...その目は私の瞳を真っ直ぐ見つめていた。
「昨日はごめんね...」
心の声が聞こえた。私は恥ずかしくなり、早々とコンビニを後にした。
...私は恐らく、彼女を見下していた。その自分の程度の低さに、そこで気付いた。
確かに彼女は私よりもカネを稼げず、小さな部屋に住んでるんだろう(恐らく、友達とシェアしている)。コンビニでレジを打ってるくらいだし、頭も良く無いはずだ。
しかし...人としての器は、私よりも上だった。
強烈な自己嫌悪感が、私を襲った。
繰り返すが、タイ人は基本、バカなんです(笑)。タイ人本人が言うんだから、間違い無いよ。たとえ三つ星レストランの店員でも、どんなに偏差値の高い学校行ってる人でも、忘れたり、凄い理由で遅刻したり、間違えたりする。基本、金勘定が出来ないので、思いつきでお店を出してソッコーで潰したりもする。アルバイト勤務のくせに、見栄を張るという目的だけで高級車をローンで買って、生活苦になる...etc。
でも、その現象をタイ人自ら「ま、タイ人だからね!笑」と言って、笑い飛ばす。つまり、彼らは自分たちの身の丈を理解し、受け入れている。
...その次の日にも、いつも通り、例のコンビニに足を運んだ。
彼女の顔はもう、明るくなっていた。私は少し、ホっとした。
相変わらず、レジで友達とくっちゃべって、スマホでYouTubeを見ながらレジを打つ。ひどい時はご飯を食べながら打つ(笑)。やれやれ...あんたらには敵わないよ。
私はそんな「自由」なタイ人を受け入れ、次第に私自身をも赦せる様になっていった。
——「幸せが見つからない」と嘆く人は多い。でも、実は気付いていないだけで、幸せになるヒントは自身のすぐ側に...いや、むしろ自身の中にあるのかもしれない。
他人を赦す器を持つ...だけでなく、かつ自分すら赦せる(受け入れられる)自己容量を持てば、あなたの気持ちはきっと、楽になるだろう。
タイで「死」を考えた私が、自らを救った方法の一つだ。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。