映画『ナイチンゲール』


ナイチンゲール

注 : 『ナイチンゲール』には、性暴力被害者の方がフラッシュバックを起こすかもしれないシーンがあると感じました。この点を考慮したうえで、鑑賞を検討したほうがいいと思います。また、本稿も性暴力に詳しく言及する箇所があります。不安な方はページを閉じてもらってかまいません。

 ジェニファー・ケント監督の最新作『ナイチンゲール』は、イギリスの植民地だった19世紀のオーストラリアが舞台。当時のオーストラリアではイギリス軍によって先住民のアボリジニが虐殺されていた。無慈悲な所業が横行する状況に、多くの人々が悲鳴をあげたのは言うまでもない。
 そんな地に流刑囚として送られたクレア(アイスリング・フランシオン)が本作の主人公だ。アイルランド出身のクレアには、夫・エイダン(マイケル・ジェズビー)と生まれたばかりの娘がいる。2人もクレアと同じく、オーストラリアで過ごす身だ。
 クレアがやることといえば、将校のホーキンス(サム・クラフリン)を筆頭としたイギリス軍への奉仕だけ。疲弊したイギリス兵たちの前で歌を歌う毎日は、クレアの心を徹底的に抑圧する。態度の悪い兵士にわざと酒をこぼすといったささやかな抵抗も、救いにはならない。

 ある日エイデンは、刑期を終えてもクレアが釈放されないのはおかしいと、ホーキンスに迫った。だが、そのことに逆上したホーキンスはエイダンの目の前でクレアをレイプし、やめてくれと懇願するエイダンを射殺した。さらに娘も、ホーキンスの部下であるジャゴ(ハリー・グリーンウッド)に殺された。レイプされている最中、大切な存在をすべて奪われたクレアは凍りつく。そしてジャゴに銃で殴られ、意識を失った。

 クレアが目覚めると、エイダンと娘の亡骸が目に入った。すぐさまホーキンスとその部下への復讐に走るが、ホーキンスたちはすでに去っていた。
 後を追うためクレアは馬に飛び乗る。だが、案内がいなければ迷うだけだと言われ、アボリジニのビリー(バイカリ・ガナンバル)に道案内を依頼する。イギリス軍に迫害されているビリーは白人のクレアを嫌いつつ、報酬のために引きうける。こうしてクレアとビリーは、ホーキンスたちに復讐しようと旅立つのだった。

 オーストラリア史を背景にした本作のテーマは、ずばり暴力だ。容赦のない女性差別に、悪辣な人種差別。暴力がさらなる暴力を呼び、地獄と化す様子を私たちは観ることになる。クレアは憎しみに染まり、その憎しみはビリーにも徐々に伝染していく。
 その地獄を観るうえで見逃せないのは、クレアを完全な被害者として描いていないことだ。クレアは紛れもなく、女性差別と性暴力に踏みにじられた。しかし同時に、アボリジニを迫害する側の白人としても描かれる。実際、劇中でもクレアはアボリジニへの差別発言をたびたび発する。そのため、物語の途中まではビリーとの関係も悪い。

 ところが、ビリーとの旅を続けるうちに、クレアは自らの差別心と向きあうようになる。ビリーから白人に仲間が殺された話を聞き、自らの状況と重ねる表情も見せる。
 だが、すんなりと打ちとけるわけではない。心を通わせたかと思えば、その後すぐさまビリーに対して差別的な態度をとってしまう。それを繰りかえすクレアの姿からは、社会に植えつけられた差別心や偏見を拭うことの難しさがうかがえる。その描写は辛辣で、とてもリアルだ。
 こうした分かりあえなさを見て、筆者はバリー・ジェンキンス監督の『ビール・ストリートの恋人たち』(2018)を思いだした。この映画でバリー・ジェンキンスは、性暴力に遭った女性のヴィクトリア(エミリー・リオス)とそうでない女性のシャロン(レジーナ・キング)が断絶する様を描いた。同じ属性、あるいは似た境遇であっても、立場が異なればすれ違う。そのような複雑さから本作は目を背けない。

 すれ違いは最後まで続く。憎んでいたはずの暴力に自分が染まっていくことを恐れたクレアに対し、クレアの憎しみを恐れていたはずのビリーは、復讐を果たすため暴力に走る。
 とはいえ、その違いがクレアとビリーの繋がりに傷を入れることはない。暴力を行使したビリーを馬に乗せ、逃げるクレアという終盤のシーンを観てもそれは明らかだ。

 正直に言えば、筆者はクレアとビリーの両方に感情移入した。歌わされていた歌を自分の意志で歌うことで、私は誰の所有物でもないと雄弁に示したクレア。何人も仲間が殺されたことに耐えられず、仇をとったビリー。どちらが正しいかを断定できるほど、筆者は出来た人間ではない。夫と娘を殺した相手に牙を向けるクレアはもちろん、ビリーも自分と似た弱者には暴力を向けないのだから、なおさらだ。ゆえにクレアとビリーが海辺に座るラストシーンを観て、少しでも良い人生を送ってほしいと、心の底から願った。

 『ナイチンゲール』は、蹂躙的な暴力がもたらす悲哀とやりきれなさを突きつける。



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