3年前との複雑な距離感 〜映画『首相官邸の前で』を観て〜

 8/5、映画『首相官邸の前で』のプレ上映を観に行ってきました。観たあとすぐに感想書こうかなと思ったんですが、いろいろ考えさせられる映画だったんで、いまやっと書けるという感じです。

 監督の小熊英二さんのコメントでも、「彼らに唯一共通していた言葉は、「脱原発」と「民主主義の危機」だった。」と語られているように、この映画は2012年夏、約20万の人たちが首相官邸前に集まった脱原発デモを記録した映画です。このときは僕も行って(確かFBフレンドのひとりと一緒に)、素直に「良いなあ」と思いました。そのときの記憶が蘇る秀逸な記録映画でしたし、フォーカスした8人のチョイスや描き方にしても、小熊さんの学者らしいフラットな視点が貫かれていた。

 ただ、いま安保法案反対のデモに集まっている人たちの現況と3年前では、良くも悪くも変わってしまったなという哀しさに襲われたのも事実です。映画の公式サイトには、「その人びとは、性別も世代も、地位も国籍も、出身地も志向もばらばらだ。そうした人びとが、一つの場につどう姿は、稀有のことであると同時に、力強く、美しいと思った」とあるけども、2012年から3年経った現在は、その「ばらばら」な人たちが集うことによって生まれる力強さと美しさは失われつつあるなと、僕は感じているからです。それは、FBやツイッターで何度も言及している、安保法案反対のデモに関わっている一部の人たちによる、セクシズムやそれにまつわる謂れのない罵倒や誹謗のことです。こうした先鋭化の現状と、『首相官邸の前で』の間には距離がありすぎると感じました。

 というわけでこの映画は、規模が大きくなり一般に運動が認知されるほど、シングル・イシューで運動全体の調和を保とうとすることに無理が生じるという、まっとうな理を突きつける映画でもあると思います。これは、デモなども含めた現在の政治/社会に興味がある人ほど、強く感じるのではないでしょうか?

 それから、この映画を観る前に、小熊英二さんと古市憲寿さんの対談(http://synodos.jp/society/1677)を読んでおくこともオススメします。『震災後の日本社会と若者』という約3年半前の記事ですが、この記事で語られていること→『首相官邸の前で』→現在の安保法案反対デモは、地続きだと思うので。このような変化の流れは“最低限の知識”として知っておいたほうがいいと思います。

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