〈「女性とPUNK」の歴史〉に関するさすがにアレな記事を読んでしまった


 とある記事を読んでいたところ、興味深い点があると同時に、これはさすがに酷いなという箇所もありました。

2018年、前作『PINK』はアメリカの音楽メディア『Pitchfork』が選ぶ「The Best Rock Albums of 2018」にも選ばれたが、その記事内における『PINK』に関する記述は、こんな言葉で締めくくられている――「their playful feminist-punk spirit(編集部訳:彼女たちの遊び心あるフェミニストなパンク精神)。振り返ってみれば、音楽史における「PUNK」では、女性も重要な役割を果たしてきた。たとえば、1970年代のオリジナルパンク世代におけるパティ・スミスやThe Slits。あるいは、1990年代のBikini KillやHuggy Bearといった、「Riot Grrrl(ライオットガール)」と呼ばれたバンドたち。挙げればきりがないし、もちろん、それらを「フェミニスト」のような言葉で括ってしまうことはあまりに乱暴だが、CHAIがそうした「女性とPUNK」の歴史の最先端にいる存在であることは間違いない。

 CHAIが「女性とPUNK」の歴史の最先端にいるのは同意できます。ただ、〈「フェミニスト」のような言葉で括ってしまうことはあまりに乱暴だが...〉というくだりは、執筆者がスリッツやRiot Grrrl周辺の作品をまともに聴いていないことが顕著に表れていて、とても哀しくなりました。これらの音楽は、フェミニズムの思想が土台にある表現をしたことで、現在にいたるまで多大な影響力を発揮しているからです。むしろ、〈「フェミニスト」のような言葉で括ってしまうことはあまりに乱暴だ〉と述べてしまうことのほうが、スリッツやRiot Grrrl周辺の作品に込められた想いを踏みにじっているという意味で、極めて暴力的だと言えます。1991年にビキニ・キルのキャスリーン・ハンナが発表した『The Riot Grrrl Manifesto』(こちらは村上潔さんによる秀逸な邦訳もあります)や、去年日本でも公開されたスリッツのドキュメンタリー映画『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』などに目を通していたら、まず出てこない言葉です。

 一方で、パティ・スミスは少々複雑です。1975年にニュー・タイムズがおこなったインタヴューでパティは、「どのようなジェンダーも異装(drag)だ」と語っています。つまりフェミニズム的な考えというより、男らしさや女らしさといった性役割、いわゆるジェンダーの境界を打破しようと試みた。とはいえ、こうしたパティの側面が注目されたのも、ベティ・フリーダンが1963年に発表した著書『新しい女性の創造』をきっかけに、フェミニズム運動(第二波フェミニズム)が盛りあがっていたという背景があったからです。このインタヴューが世に出た70年代といえば、 エイドリアン・パイパーやジュディ・シカゴなど、アート側からも女性性の定義を見つめなおす動きが活発でしたが、その文脈でもパティは注目されていたのです。これをふまえたうえで、引用したパティのインタヴューを読んでみると、いろいろ発見があると思います。

 2000年代の流れにまったく触れていないのも、とある記事の引っかかるところなんですが、当然この時代にも〈「女性とPUNK」の歴史〉を考えるうえで重要な動きはありました。チックス・オン・スピード、ピーチズ、ゴシップ、レ・ティグレといったアーティストはもちろんのこと、LadyfestというフェスやレーベルのMr. LADYも重要でしょう。エモ・シーンから出てきたパラモアのヘイリー・ウィリアムスや、そのエモ・シーンの男性中心主義的な側面を批判した音楽評論家ジェシカ・ホッパーも忘れてはいけません。特にヘイリーとジェシカの功績は、ミツキ、セイント・ヴィンセント、ジュリアン・ベイカー、スネイル・メイル、リグレッツ、パラノイズ、L.A.ウィッチ、ドリーム・ワイフ、ゴート・ガールなどが活躍する現在のロック・シーンの下地を作ったので、非常に重要です。そうした流れが、ジェシカ・ホッパーの著書にセイント・ヴィンセントがコメントを寄せ、対談もするということに繋がっている。そしてヘイリーを、ジャンルを越えてさまざまなアーティストの影響源になるまでの存在に押しあげたのです。



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