見出し画像

大野豊さん~我が選んだ道に悔いは無し~

昨年11月、NHK BS1のドキュメンタリー番組「レジェンドの目撃者」にて大野豊さんが登場した(再放送。初回放送は22年11月10日)。

大野さんは昭和後期から平成初期にかけて先発・中継ぎ・抑えで活躍し、通算22年間で148勝、138セーブを記録した大投手である。平成生まれの私は大野さんの現役時代は当然全く知らないが、年配の方は7色の変化球というイメージがあるかもしれない。番組を見て、1年目の防御率135.00から昭和最後の沢村賞投手にまで這い上がった精神力、巨人で活躍した篠塚和典さんに「僕は諦めていた。"1人ぐらい諦めても良いでしょ"と思っていた」と言わしめた実力、小早川毅彦さんを始めとしたチームメイトや裏方さんから「文句や愚痴は聞いたことがない」といった証言が数多く出るほどの人格と、野球選手としては勿論、人として悪いところが全くない方だなと感じた。

出雲信用組合(現在は島根中央信用金庫に統合)の軟式野球部3年目の時、地元の出雲高校と硬式球で練習試合をしたところ、5回で13奪三振を記録したことからプロを志望するようになり、1976年秋に広島の入団テストを受け、合格。尚、番組内ではテストを受ける前に当時の上司に退職願を出したら「分かった。これは預かっておく。どうせ落ちるから黙って帰ってこい。」と言われたエピソードが紹介されている。良い上司だなと思ったのと同時に、それは大野さんが普段の業務を実直にこなしていたから上司が理解を示したのかなと思った。

こうして広島でプレーすることになったのだが、1年目は中継ぎとして1試合に登板したのみだった。先述の通り防御率は135.00。1アウトしか取れず、5失点で降板した。昨年8月、中日の近藤投手が10失点したにも関わらず、最後まで投げた際にヤフーニュースのコメントで広島ファンの方が「広島のレジェンドである大野豊さんも最初は防御率135.00だったからどうか前を向いてほしい」とコメントしていたのを思い出した。

少し話が逸れてしまったが、どん底だった大野さんに対し、江夏豊さんがキャッチボールを徹底(時に鉄拳制裁を加えることもあったという)させるなどしたところ、徐々に結果を残せるようになった。江夏さんが広島を去った後に務めた抑えでは振るわなかったものの、84年に先発に転向してからは90年までの7年間で4度の2桁勝利を記録。尚、88年に沢村賞を受賞しているが、投手泣かせの旧広島市民球場を本拠地にしながらの受賞なので、非常に価値が高いと思う。

ところが91年にそれまで抑えを務めていた津田恒実さんが脳腫瘍で戦線離脱してしまう。当時監督だった山本浩二さんは、大野さん以外に津田さんの代わりを務められる投手がいなかったことを理由に大野さんを抑えに指名した。すると日本記録となる開幕から14試合連続セーブ(当時)をマークした(番組MCの土屋礼央さんに「一度抑えをやっていた頃のことがフラッシュバックしたのでは?」と聞かれると「そんなことは全くなかった。もしそれで駄目だったら選手として本望ですよ」と応えていた)。尚、この時36歳であり、又、当時の中継ぎ・抑え投手は今のように1人1イニングやワンポイントリリーフ等、役割が細かく分担されていなかった中での記録なので、言葉は悪いが「野球ロボット」と言っても過言では無いと思う(チームメイトだった川口和久さんは「当時の中継ぎはピンチの度に肩を作っており、登板するまでに50球超えることも多かった。そんな中で36歳での抑えというは疲労度はより蓄積する。なのに大野さんは平気で3イニング行かれる方だったので、もはやスーパーサイヤ人ですよ。」と言っていた)。大野さんの活躍もあり、チームはこの年通算6回目のリーグ優勝を果たす。優勝を決めた試合は勿論大野さんが締め、胴上げ投手となった。

91年の配置転換について、もし私が大野さんであれば間違いなく不満や文句をぶちまけていただろう。なぜなら、先発投手としての地位を確立していたからである。ただ本人は「嫌な気持ちとかは全くなかった。上手くなりたい、抑えられるようになりたいと思いながら練習した。」とはっきり言っていた。ここが投手王国広島の象徴と呼ばれた所以なのかもしれない。

93年オフに日本球界で初めてメジャーからのオファーを受けた(野茂英雄さんがメジャーに行ったのは95年)が、大野さんは即断った。番組内でその理由を「広島以外のユニホームを着ることは全く考えていなかった。育ててもらった恩があったから。」と語っている。続けて「"最後まで広島で投げ抜く"と決めたことは自分の中で間違いじゃなかったと今でも思っている」と締めた。この時私は思わず涙を流した。それは単に生え抜き選手として引退したからではなく、自分の選択したことについて「間違いじゃなかった」と堂々と言っていたからだ。

非常に恥ずかしい話だが、私の人生は、大小関係なくその時その時の選択を後悔したことが何度もあった。そもそも大野さんの発言を堂々とできる人が世の中に一体何人いるのだろうか。ただ、大野さんの発言を見て「選択を正解にできるかは自分次第なんだな」と思えた。現在、主にキャリアについて悩むことが多いが、どんな選択をしても、「我が選んだ道に悔いは無し」と言えるようにしたい。 

※長文にも拘わらず読んで頂きありがとうございます。noteを始めて間もない為、投稿に当たって何か助言頂ければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?