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「カッコーの巣の上で」やがてくる薬学的ロボトミーの時代(今の時代)を予言している

アメリカン・ニューシネマと呼ばれる映画がある。嘘ばっか書かれているwikiでは過去のことであり、今はもうこういう社会ではないという。

全く賛成できない。今も数多くの子どもたちは「ADHD」や「多動性障害」「学習障害」と病名をつけられ、学校出たら誰かの道具に使われ「心療内科」で薬漬けになる。時給で時間を売り、家賃を払い、余暇は楽しみを買うために使用料を払う。

「カッコーの巣の上で」は、まさにアメリカン・ニューシネマの代表格だ。今の閉塞的な社会の「萌芽の時代」を描いている。そしてヒトはいつの時代も愚かで、同じ事を繰り返す。

映画という表現手段が、社会の問題に向き合い始めたのだ。

そして、今でも素晴らしい作品にはこのハートが受け継がれている。アメリカン・ニューシネマは終わった時代の残滓でもなければ、明るい未来の予告でもない。

そして、従来の「娯楽映画的なハッピーエンド」は無い。自分の苦しみが普遍的であり、多くの人と連帯していることに気がつけることがハッピーエンドなのである。

「ロボトミー手術」をご存知だろうか?

ロボトミーというのは、脳を物理的な手術で切り離してしまうのだ。この手術の創始者はノーベル賞をもらっている。これは恐ろしいことなのだ。医療が当たり前だと思わている時には当たり前のことなのだ。

心療内科で投薬を受けて毎日会社に行くも、薬物やアルコールに依存するも当たり前の世の中である。

世襲される「憲法で保証された格差」、縁故採用が生む社会の停滞「現代の宦官制度」、負け組の人生はその自己責任であるという「新身分制度」

こんな社会であるから、「心の病」は当たり前の反応なのだ。

そして、今や「薬学的ロボトミー」の時代である。医療は、心の病によく効く薬を用意する。医者は患者の苦しみで商売する。

医療を拒否するときは、依存に逃げねばならない。酒でも飲んでいなくっちゃやっえられねえよということだ。ん、俺か。

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ある方のnote見て思い出した。コメントさせていただいて、数十年ぶりに見てみようと思った。辛くてまっすぐ見れない映画って、とても大事だ。

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この動画はもろネタバレである。このシーンではボロ泣きである。

チーフさん、いいねえ。

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考えてみるとロンゲストヤードもニューシネマ的である。

彼は一生刑務所の中なのだ。

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ちなみに、12モンキーズって、この映画をリスペクトしているよね。

テリー・ギリアムに関してはまた今度じっくり見直したい。何と言っても「バンデットQ」であろう。未来を信じたくなる。

未来世紀ブラジルとセットで見るといい。しかし結局、テリーはペシミストである。世界はそんなふうに上手くは出来ていないのだ。

未来など信じられない。おい、どっちだ。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。