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上野健太郎さんは癖になる

僕は上野健太郎さんがとにかく好きである。帽子男を読みたくなって実家の僕の小さい頃の部屋に探しに言ったが見つからない。
Montereyのアップグレードでperlが動かなくて、もう一ヶ月近く、仕事にならない。僕の人生はどうなるのだろうか。

「さよならも言わずに」は異色であると言われるが、それは表面のことで、上野健太郎さんの作品には、全編に有る種の悲しさが漂っている。行き場のない絶望というか諦めというか、緻密な絵と不思議にリアリティの有る表情に表現されていて好きである。とは言っても、やはり帽子男であろう。猟奇王と共に僕の成りたかった大人の姿に重なる。

猟奇王も買えるだけのものを買っていたはずなのだが、見当たらない。大学時代に愛読した。プガジャのファンである。バイト君も好きだ。

最初はコミックモーニングで沢山の人(5万人)が書き込まれた作品が連載された時だった。数えようと思ったがまだ実行していない。果たして確認したヒトはいるであろうか。コマの外にいるっヒトも含めているのであろうが、果たして何人書き込まれているのだろうか。
まだ当時はフラッシュモブなどという言葉はなかったような気がする。超越した意志の存在を感じる。

何とyoutubeに出ていらっしゃるではないか。面白い。が、自分の大事なものを解説されるというのは微妙な悲しみがある。まあ、本人が出ているから嬉しいのだが、ネタばらしするなよと思ったり、どうせ誰もよなないよなと思ったり、複雑な心境である。

「千の目を持つ」というフレーズは素敵だから時折使わせてもらっている、何に?
すべてが見えているということなのだろうが、見えているだけではあまり面白くない。触ったりなめたりしゃぶったりが良い。

きれいに並べるのだが、ブロックごとに読んでは戻すから少しずつ乱雑になる。ちょっとエロいものが隅にコッソリと置かれている。本当にやばいものは自宅の地下室に有る。地下室と言っても高さ90cmの這って入るようなところである。多分僕も忘れているような奥に隠れている。VHSの裏物が有るのだが、もうデッキもない。時折懐かしむのだが、ネットにも上がっていない。40年以上前に武蔵小杉のトイレで拾った裏本もどこかにあるはずなのだが、人生の荒波の内に消えた。

探している内に他の本を読みたくなってきた。しかし、老眼は辛い。雨で随分雪は溶けたが、まだ寒い。

この奥にありそうなのだが、何が潜んでいるかわからない。下手なものに噛みつかれたら、一巻の終わりである。一巻で終われば良いのだが、朝まで掛かる可能性もある。
父の実家の奥の部屋である。僕が育った部屋だ。思い出が深く、いつかここで死ぬのだろう。
ヌイグルミは、子供たちの小さい頃のタイムカプセルである。ナーフで打ち合いしたなあ部屋に戻ったら
部屋に戻ったら、マユはねておった。
ターミナルコマンドを調べたくて行ったのだが、どの本に書かれているかわからなかった。簡単に探し出せない所が、本の良いところだ。探していなかったものとも出会うことが有る。

少し飲んで寝て起きたところであった。

半額になる寿司を買いに行ったが売っていなかった。
ビールは足がつるのでハイボールを飲むようになってきた。
鍋には豆腐とさつま揚げを入れた。
モツも一時間煮てから入れた。
手羽先は数日煮込んでいる。右下には薄く切ったサラミが浮かんで見える。継ぎ足しオデンというのは、かなり素晴らしい調理法である。

#上野顕太郎 #継ぎ足しオデン


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。