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パブリックの研究:コロナ殺人ワクチンの事、健康のためなら死んでも仕方ないのか?

何よりも、恐ろしいのは死んだ時にどの様にケアするかということが明確でないところだ。僕はゼロリスクなど求めてはいない。全員に打たせるならば、必ず起こる事故を因果関係がないと逃げたり、変な病名付けるのではなく、真剣に向き合ってもらいたい。

僕の友人の娘さんが受けてもう3日熱がでているという。おかしいとは思わないのだろうか?

ニューズウイークで連載しているこの人は、医者に言ったらSRIVAと言う現象ですと言われて安心したそうだが、おかしんじゃないか?

かつて医者は「治療方法がなければ」病名をつけれなかった。今は大喜びで病名をつける。では、病名がついたから何が変わった?バカじゃないのか。

メディアは、一生懸命、気分が悪くなってもそれはよくあることなのだという。おかしんじゃないか。

コロナの殺人ワクチンいが外にそんな事があったかね?

死んでも、それはまれにあることだという気だろうか。

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メディアは、すでに買い取られている。

次から次へと、ワクチンバンザイ報道である。ワクチンが良いことをしたと言うが、薬害で死亡して人を追いかけている記事がない。おかしんじゃないか。コイツラ、思い切りひどい目にあえば良いのだ。

ワクチンで死んだ遺族の保証はどうなっている全くでてこない。

健康というパブリック(共通の価値)を守るために全県を委託したわけではない。

パブリック(医療行為)から金儲けをしてはならないのだ。

誰もが使うし、誰ものが大事視するものから金を吸い上げてはならない。

これこそが最も重要な原則であろう。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。