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丸鶏グリル、ピザ(パスタマシン)、マユのご飯、アメリという映画大好き

過去に幾度か丸鶏はグリルしたが、いつも思ったようではなかった。
今回はうまく行った。上手く作れるようになるには長い時間がかかる。幾度も失敗しなければならない。焦げ過ぎたり、中のピラフの芯が残ったり、火が通りきらなかったりであった。

今日は大成功。底に敷いたじゃがいももすごく美味しい。

皆が腹を空かしているところで失敗はいたたまれない。
無理に口をつけてくれたりするのは、友愛といたわりの心が感じられ嬉しいものであるのだが.................…。

今回は美味しく頂いた。マユが飛んで飛んで大騒ぎであった。

アメリという映画の中で鳥料理(七面鳥?)を食べるシーンが有る。
鳥には特別な場所があり、そこが大好きな人の話である。子供にその美味しさを伝えるシークエンスだ。時折そのシークエンスを思い出す。
家族で一緒に食事をする。かつて、「決して豊かではない市井の私達」は「食事を作り、共に食べる」ことによって豊かな人生を生きたのである。
この喜びこそが「食事の価値」なのだ。


もちろん愛を交わすことも大事。

『世界を旅する小人、スキンヘッドの駅の怪人の謎、数十年を経て壁の裏から見つかった秘密の箱、世界で同時に発せられるエクスタシーの謎、体中の骨がガラスのように砕ける老人と片腕の従僕』ミステリーとしてもこれの右に出る映画は見つかるまい。全てがラストに向かって収斂していく(笑)。

フランス映画らしいヒネリの効いた「愛と食事」の物語である。

僕の大好きなドミニク・ピノンさんも出ている。
ああ、あの映画またみたくなった。借りてこなくっちゃ。
「ロング・エンゲージメント」も大好き。


今晩のメインディッシュ

母に見せたら驚いたことであろう。父はきっと言葉少なく飲みながらつまむ。
美味しそうなものが出来ると、そんな事を思う。

昨日、仕込みで30分、今日は2時間30分。
750円の丸鶏とタマネギ、セロリ、パセリに人参、スパイス少々(笑)。
食べる人の笑顔を思いながら作るのは喜びである。そして、ピンコロの人生の終わりを家族にもたらせる。マユも大喜びだ。

大事なことは材料の値段と時給では測れない。
価値とは金額には換算されないものだ。

子供たちが小さい頃は、ご飯をどんどん食べたろうが皆もうそんな歳ではない。
それでも、焼きの入ったご飯は独特の味になる。
ちょうどマユのご飯がなくなった。今夜マユのご飯になるであろう。

16時位から準備開始である。
ご飯は2合であった。ジックリ炒めてピラフにする。
ジャガイモ敷いて、上に乗せる。
ご飯を詰めて、腕組みをするように足を皮に結ぶ。
デロンギに鎮座していただく。
20分経過、奥のほうが焦げ始めているので前後を返す。10分休ませてもう20分。
完成である。
首の所が美味しいと切り分けた。
キャアキャアとふたりとも気持ち悪がったが、かぶりついた。
今日は酒を飲まなかった。
デザートはリンゴ、デザイナーカットである。

朝はパンを焼いた。

10年ぶりくらいにパスタマシンを出した。薄いピザを食べたかったのだ。
生地を薄く出来る。アンチョビをまいたパンが美味しいかなと思って出した。
パンを買うより焼いたほうが美味しい。
朝から大ごちそうである。

本日は混沌が激しい。ル・クルーゼもあるし、バットも2枚である。
ご飯はマユに食べてもらうことにした。明日はごちそうである。
肉と豆腐を足したのだが、鶏が多くて食べなかった。これもマユにあげる。小鍋に移して冷蔵庫である。
出来上がりである。
おおよそ40分で静寂に戻る。アトカタは明日の準備である。
毎日の厨房仕事に欠かすことは出来ない。そして、高度にインテリジェンスが高く、マニュアル化など出来ない。乱取りのように常に変わる状況に対処する知性が必要なのである。
よく寝ておる。朝ごはんをあげる時の大喜び様はみていて嬉しい。生きている喜びを全身で表現してくれる。明日が楽しみだ。

病院に行かないで生きることが健康なのだ。

明日は妻のパートなので、メンチカツ作ろうかしら。
豚バラブロックがあるから酢豚もいいな。









厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。