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Tristan und Isolde 徒然⑨ お団子4個をいろんな並べ方にしてみよう!

今日は最初にちょっと「和音」のお勉強をします。でも決して堅苦しいことはありませんよ。これがわかると「トリスタン」の秘密が見えてくるようになるので、楽しみながらお読みください。

一般的に「和音」と呼ばれるものはどのように出来ているでしょうか?その組み合わせの基本は3度音程をだんご🍡のように重ねていくことです。音階の音を一個とばしで重ねる、ということです。普通は3つ以上の重なりを「和音」と言います。

「ド」の音を基準に考えてみますと、基本は「ドミソ」の和音です。「ド」は変えずに「ミ」や「ソ」の音を半音上げたり下げたりするといろんなパターンの和音ができます。

長3和音(ドミソ)
短3和音(ドミ♭ソ)
減3和音(ドミ♭ソ♭)
増3和音(ドミソ♯)
長3和音5音下方変位(ドミソ♭)

3つのお団子でできる和音

がありますね。
組み合わせとしては(ドミ♭ソ♯)も可能ですが、実質長3和音と同じ響きですので、ここでは考えなくて良いでしょう。

ではもう一つお団子を足して4つの3度を重ねるとできる和音にはどんなものがあるでしょうか?

長7和音(ドミソシ)
属7和音(ドミソシ♭)
短7和音(ドミ♭ソシ♭)
減5短7和音(ドミ♭ソ♭シ♭)
増7和音(ドミソ♯シ)
減7和音(ドミ♭ソ♭シ♭♭)=(ドミ♭ファ♯ラ)
短3和音+長3度の和音(ドミ♭ソシ)
減3和音+増3度の和音(ドミ♭ソ♭シ)
属7和音5音下方変位(ドミソ♭シ♭)

4つのお団子でできる和音

となります。数学的には他の組み合わせも可能ですが、実用的なものに絞っています。

減7和音は3つの短3度を重ねたもので、ドミ♭ソ♭シ♭♭と書くより、異名同音でドミ♭ファ♯ラと表記したほうがわかりやすいですね。

どの和音も構成音が半音違うだけで全く色合いの違う和音になることがわかると思います。

これまで散々見てきた「トリスタン和音」の組成は「減5短7和音」です。譜例の4つめのお団子です。下から短3度、短3度、長3度と積み上げた形でして、トリスタン冒頭に現れるものはお団子の順番を入れ替えたものになっています。

このいろいろな4音和音の組み合わせを縦横無尽に扱っているのが「トリスタンとイゾルデ」という作品。いくつかの例を提示してみます。

第2幕の冒頭、「昼の動機」の衝撃的な開始!この和音は「ミ♭ソレ」という3つからなる和音です。お団子の上から2つ目が空いている形ですね。衝撃的でありながらも何か空虚な感じがするとしたらお団子が一つ欠けているせいです。もし「シ♭」が入っていれば「長7和音」になります。続く弦楽器のトレモロを見てください!様々な4音和音が連鎖しています。

コードネームで書いてありますが、以下を参照に読んでみてください。
maj7 = 長7和音
o = 減7和音
ø = 減5短7和音(トリスタン和音)
m7 = 短7和音
7 = 属7和音

この2段の楽譜の中に5種類もの4音和音が出てきますね。微妙に味わいを変えながら、2段目の「焦燥の動機」につながります。この動機は属7に続いて減5短7(トリスタン和音)に進行し、トリスタンに会いたいイゾルデの気持ちを表現しています。

同じように、イゾルデに会いたいトリスタンの気持ちが表れた音楽が3幕に登場します。

トリスタン(力なく)「まだあの光は消えていない、まだ家は夜になっていない。イゾルデは生きて、目をさましている。イゾルデが俺を夜の中から呼びよせたんだ。」

やはり5種類の4音和音が登場しているのがわかりますね。2幕冒頭より長いことを考えると、より焦燥感の強いのがトリスタンと言えるかもしれません。

さてここで前回告知した「憧れの動機」の別ヴァージョンをみてみます。薬にまつわる場面に出てくる動機が毎回トリスタン和音から始まるわけではないことを前回お話ししましたが、それ以外にこの動機が登場する場面を2つご紹介しましょう。

イゾルデ(ブランゲーネを嘲るように)「臆病でぶつかることをできるだけ避けようとする人よ。 主君の花嫁をしかばねにしてしまったものだから!」


一つ目は1幕2場のこの場面、3段目3小節に出てくる「憧れの動機」に当てられた和音は「トリスタン和音」ではなく「減7和音」です。仮にここを「レ」を半音上げて「トリスタン和音」にして弾いてみると違和感が起きてしまいますよ。周辺に減7和音が多く出現しているので、ここでも減7和音が鳴るのが妥当です。譜例の黄色で括った部分には半音階進行が隠れていますよね。「憧れの動機」に衝撃はあれど唐突感がないとしたら周到に準備された半音階進行と減7和音のお陰なのです。

以下の譜面は「マイスタージンガー」の3幕4場、有名な「トリスタン」の引用が登場する場面ですが、ここが案外唐突に感じないのもその前のエーファの音楽に半音階進行がたくさん含まれているためなのです。

4段目の最後に「トリスタン」の引用が現れる。緑で括った半音階進行が周辺で多用されていることから「トリスタン」の唐突感は和らいでいる。

二つ目は2幕の幕切れ、トリスタンがイゾルデに向かって放つ台詞に「憧れの動機」が出てきます。減7和音で始まり属7に進行します。その後合いの手として入れられる和音は「短7」「減5短7」「減7」です。(最後の2つは本来ならDo Fo と書くべきですが、前の小節との比較のために G#o と書いています。Do と Fo と G#o は同じ構成音になります。)

トリスタン「君の瞳は、イゾルデ、この男の目もくらませたんだ。その思いのあまり、裏切った、この友人は、ぼくを。ぼくが裏切った国王のためにな!」

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さて、ここまで4音のお団子和音を多彩に駆使する例を見てきましたが、そうなると次に考えるのは
「お団子を5個にしてみたらどうなるのだろう」
ということではないでしょうか?
そう、ワーグナーの和音はお団子5個に拡張されます!

長調属9和音
短調属9和音
短調属9和音5音下方変位
減7和音+長3度

5つのお団子でできる主な和音

可能性はもっとありますが、実際に使用されているのは以上のようなものかと思います。「トリスタン」でも属9は長調、短調ともに用いられています。3番目に書いた「短調属9和音5音下方変位」、これ弾いてみると陰鬱でやるせないような響きがしますが、まさにそんな気分の時に鳴らされる「トリスタン」の中での重要な和音です。

1幕2場ブランゲーネとトリスタンの噛み合わない対話、トリスタンが歌う"blau"という歌詞に暗い響きの「短調属9和音5音下方変位」が聞こえます。コントラバスのピチカートも付属していてなかなか意味深な響きですね。ブランゲーネを揶揄する様子がこの和音から感じ取れます。

トリスタン「緑の野が目には青く見えるあの辺りで、わが王がお待ちだ姫様を。」
下段3小節目が「短調属9和音5音下方変位」

3幕のトリスタンの長いモノローグにも「短調属9和音5音下方変位」は登場します。イングリッシュホルンの吹く「嘆きの調べ」には「ソ♭」が特徴音として登場します。

3幕冒頭イングリッシュホルンによる「嘆きの調べ」

これに和声が付いたのが以下の場面、トリスタンが自身の運命を悟るシーンです。特徴音「ソ♭」のある4小節目4拍目から3小節間は「短調属9和音5音下方変位」です。また最初の小節も同様です(ソシレ♭ファラ♭)。

トリスタン「朝もやの中では不安に、もっと不安げに、息子が母の運命を知ったときには。」

5音和音の譜例4つ目「減7和音+長3度」、なんだか不思議な音の並びですが、これはトリスタンのあと「神々の黄昏」「パルジファル」に頻出する和音です。でもワーグナーファンに一番馴染みのある5音和音なんじゃないでしょうか。

3小節目に「減7和音+長3度」、ワーグナーファンにはお馴染みの響き

パルジファル2幕で彼がクンドリのキスを受けて覚醒するところです。
「アンフォーーーールタス!!」に付けられた和音は
「ミソシ♭ド#ファ」という5音和音、「指環の動機」を一度に鳴らした和音としても有名です。私は個人的に「カラスの和音」と呼んでいます。なぜかというと「神々の黄昏」1幕ヴァルトラウテの語りの中にこの和音が登場する際「二羽のカラス」に言及するからです。(世間一般では使われていません。あくまで「私だけ」が使っている名称です。)

ヴァルトラウテ「ヴォータンが旅に出していた二羽のカラス、そのカラス達が良い知らせを持ち帰った時、 、」

現代のポピュラー音楽の世界では9th(お団子5個)、さらに11th(お団子6個) 13th(お団子7個)が普通に使われているのはご存知だと思います。お団子の個数を増やしていくと和声的なヴォキャブラリーが拡大していきます。ワーグナー以後のクラシックの世界でもお団子の数を増やしていった歴史があります。関連記事 ↓

ワーグナーは初期の頃から特に「減7和音」を多用してきました。「減5短7和音」もオランダ人の頃から使用してきています。この和音の連結や発展を考えて行き着いたのが「トリスタンとイゾルデ」での使用和音ということになるでしょう。それがパルジファルに向けてさらに進化していった、という壮大なお団子物語なのです!まだまだ語っていないことはたくさんありますが(例えばワルキューレの「災いの和音」とか)、とりあえずここまで!もし最後まで読んでくださった律儀な方がいらっしゃいましたら、脳が大変疲れたことと思います、美味しいお団子でも食べるとよろしいでしょう🍡🍡🍡

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