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田原イコール物語3「多民族が共存するペナンの暮らし」

ペナンは、東インド会社の拠点として栄えた場所だ。この島を所有していたスルタンにイギリスが交渉して譲渡された。港から伸びるメインストリートには、イギリス式の建物や教会が並び、街にはジョージタウンと名付けられた。

ペナン島は、多くの民族や文化が入り混じる土地だ。もともと住んでいたマレー系の人たちは、ムスリムでマレー語を話す。そこに、明王朝から清王朝へと政権交代したことをきっかけとして中国から海外へ流出した漢民族が港湾労働者や炭鉱労働者として移住してきた。福建省から来た人が多く、彼らは「ホッケン語」を話す。他にも広東省から来て「広東語」を話す人たちや、他の地域から来て、それぞれの土地の言葉を話す人たちがいる。マレー系と中国系との混血が起こり、ニョニャ文化が生まれた。ヨーロッパ人との混血も起こり、彼らはユーラシア人と呼ばれた。天然ゴムのプランテーションが始まると、そこで働く労働者がインドから連れてこられて住み着いた。ペナンに来たインド人は南インドからの移住者でタミル語を話す人が多い。日本軍がアジア各地を攻略したとき、ペナン島はイギリスの植民地統治から日本の植民地統治へと移行した。そのときの歴史も刻まれている。ペナンの博物館には、原爆のキノコ雲の写真が、第二次世界大戦の終了とマレーシア独立の象徴として展示されている。出来事の意味は、捉える角度によって異なるのだ。

ジョージタウンには、ムスリム寺院であるモスクと、中国の仏教系寺院と、ヒンズー教の寺院とが隣接して建っている。キリスト教の教会やシーク教の教会もある。それらが一つの街に共存している。それぞれの文化はそれぞれの暦と宗教行事を持っている。1月1日が西暦の正月、2月にチャイニーズニューイヤーがあり、3月にはインドの正月ディパバリがやってくる。ムスリムは太陰暦を使っていて1年間が365日より短いので、1カ月の断食期間であるラマダンとその後のお祭りであるハリラヤの時期が、少しずつ前倒しになってくる。2011年には8月にラマダンをやっていたが、2024年は3月11日から4月9日がラマダンだった。それぞれが異なるリズムで生活する様子は4重奏の曲を聴いているようだ。

文化や宗教が違えば、物事の捉え方が違う。母語もそれぞれで、ほとんどの人が英語、マレー語、北京語、ホッケン語、タミル語など、いくつもの言語を使い分けて話す。お互いがそれぞれ違うことが前提となっていて、他人に対する関心が薄い。それが、均質性が高くて他人の目を気にしがちな日本とは異なる空気を作っている。

ペナンで暮らすうちに、世界にはいろんな人たちが住んでいて、いろんな言語で話しているのだ、自分もそのような世界の一員なのだという実感がわいてきた。日本語も日本列島で話されている言語というだけでなく、ホッケン語やタミル語のように、世界各地で使われている言語なのだという認識に変わった。世界に住んでいる日本語話者とオンラインで話してみようと思ってラングエッジエクスチェンジを始めた。インド、ベトナム、マレーシア、シンガポール、中国、韓国、台湾、イタリア、フランス、イギリス、ロシア、カナダ、トリニダート・トバゴなど、世界各地の人たちとスカイプで繋いで、英語と日本語で話しまくった。オンラインだから日本にいるときからできたはずだったのだけど、日本にいるときには思いつかなかった。世界の捉え方が大きく変化していった。

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