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田原イコール物語15 フリースペースつなぎと「田原の窓」

気仙沼にあるフリースペースつなぎの代表の中村みちよさんとは、2018年に知り合った。みちよさんがつなぎを維持するためのクラウドファンディングをやっているのを見かけて、彼女が紡ぎだす言葉に心を掴まれた。

みちよさんも僕も、震災前は宮城県に住んでいた。震災をきっかけに学校の教員をやめて、フリースペースをはじめたみちよさんと、震災をきっかけにマレーシアに移住した自分とは、選んだ道は違うけれど、自分の内奥に潜って本質的な生き方をしていこうというところは同じで、想いは通じていると思った。あなたと私は違うことをやっているけれど、「イコール」だと思ったのだ。

気仙沼とペナンに分かれているからこそ、子どもたちにできることはないだろうかということで始めたのが、毎週1時間、ペナンと気仙沼をZoomで繋いでおしゃべりする「田原の窓」だった。僕は、気仙沼に遠くから吹いてくる風のような存在になろうと思った。

第1回 田原の窓

「田原の窓」に来てくれるようになったTちゃんは、BTSの大ファンだったので、グーグルストリートビューでソウルにあるBTSの事務所を1時間かけて探して見つけた。あの協働作業は面白かった。それをきっかけに、いろいろ話すようになった。

BTSの事務所

不登校の子どもたちの多くは、修学旅行に行かないということを聞いて、「クラウドファンディングやって、韓国に行って、K-Popアイドルに会いに行ったらどうかな?」と無責任に言ったら、行動力のあるつなぎのみんなが動き始めて、クラウドファンディングがスタートし、韓国への修学旅行が実現した。Tちゃんの感謝の手紙が応援者に届いたが、それは、すばらしいものだった。

「田原の窓」は、しばらく中断したが、新しいメンバーで再開した。アプリの話やAIの話など、いろんなことを話した。そうこうしているうちに、僕は10年住んだペナン島を離れて日本に帰国することになった。つなぎの10周年記念イベントがあるということで、友人たちを連れてレンタカーで気仙沼に向かった。パソコンの画面越しでしか会っていなかったつなぎのみんなと対面で会うことができた。なんだか気恥ずかしかった。

日本に住みながら、ペナンに行く生活が始まり、ペナンラーニングジャーニーを企画するようになると、「つなぎの若者をペナンに連れて行きたい」という想いが沸いてきた。彼らが世界を広げるきっかけを作りたいと思ったのだ。

2024年2月に東京の八王子にある大学セミナーハウスで行った蜃気楼大学にもつなぎのみんなを招待した。彼らは、未来フェスのコーナーで、ソーラン節の踊りを披露した。生命力あふれるパフォーマンスは、彼らが持っている力の一つだ。

蜃気楼大学で、MUSVIの阪井さんとみちよさんが繋がり、つなぎにMUSVIの「窓」を入れることになった。僕の自宅にも「窓」があるので、バージョンアップした「田原の窓」がスタートした。

ペナン島ラーニングジャーニーの企画に向けて、参加者一人ひとりと窓越しに話すことになった。保護者向けの説明会も、窓からおこなった。事前に窓ごしに話すことができたおかげで、つなぎのみんなも、僕も、不安が解消されていった。

つなぎのみんながペナンに来たとき、最初の「田原の窓」からの道のりを思い浮かべて胸が詰まった。彼らは、それぞれの感受性でペナンを体験し、ヒンバスというアートスペースでソーラン節を披露した。そのインパクトは絶大で、ペナン州知事から盆踊り大会に招待され、今月は、自分たちでペナンに行くことになった。きっかけをつかんで、その次の展開を自分たちで創り出していく生命力がつなぎにはあるのだ。


ペナンの海辺でのソーラン節

ペナン島にもMUSVIの「窓」が設置され、ペナン島で行われたパーティーに、つなぎのみんなが窓越しにさんかした。気仙沼とペナンが「窓」で繋がった。

ペナンラーニングジャーニーの打ち上げパーティー

6年かけて、ずいぶん遠くまで来たものだと思う。想いだけで突っ走ってきたが、つなぎのみんなの笑顔で報われてきた。この道は、まだまだ遠くまで続いている気がする。

■クラウドファンディングはあと51日。34%達成

■田原イコール物語を最初から読みたい方はこちら


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